小グループで聖書を学ぶ
22 悩みを身に受けて、祈ったので(U列王記21:1〜26)

「心の門を開いて」

 権力は人を堕落させると言われますが、権力者や指導者にまつわる非倫理的、不誠実な事件は昔も今も多いです。心理学の研究が示していることは、権力は人間の心理を変える作用があるということです。今日聖書に登場するマナセという王様は、まさに権力によって最も悪い王と言われるようになりました。マナセの姿を通して、人の罪と主の救いについて学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 前の王ヒゼキヤは、主の前にかなうことを行った信仰的な王でしたが、今日の箇所に登場するマナセ王は、どうですか。何歳で王位に上がりましたか。そんなことからすると、マナセは、どのように王権を振るう可能性があると考えられますか。
・1〜2節/


2 12歳と言えば小学6年生くらいです。どれほどの分別、判断力があったでしょうか。信仰の王ヒゼキヤが退いた後は、反ヒゼキヤの偶像派の家来たちが幼い王にすりより、おもねり、巧妙に自分たちの言うことを聞くようにさせ、異邦の民の忌み嫌うべきならわしを行うようにさせたのでしょう。権力を持った者は、どのような姿に陥り易いですか。悪い権力者は、人々をどのようにしますか。
・マタイ20:25,ダニエル11:3/
・伝道者4:1/

3 心理学によれば、権力を手にしていると思う者は、自己への注目の度合いが強まるそうです。つまり、自分自身の思考や感情に他人を注目させるのです。また、権力によって自分の感情や衝動への抑制が弱まるそうです。つまり、肉の思いが表に出て来ます。さらには、他者の状況や感情に対する共感性が低くなり、他者に厳しく自分に甘くなると言います。私たちにも、そのような権力者心理がないでしょうか。



4 マナセは、イスラエル史上最も悪い暴君、邪悪な王となりました。その悪政が記されています。マナセは、どんなことをしましたか。権力者が偶像を持ち出すのには、理由があります。権力者心理にとって偶像崇拝はどう都合がよいのでしょうか。
・3〜7節前半/


5 偶像は、人の願いを聞いてくれるものとされているので、自己中心の権力者にとって都合が良いのです。権力者心理は、従うことを嫌うからです。権力者の問題は、他者の状況や感情に対する共感性が低くなること、自分の過ちを正当化することです。権力者は、その影響力を思えば、自分の身を制しなければならないのに、王は民をどうさせましたか。王を批判し、主の叱責を告げる預言者たちをどうしましたか。
・8〜9節/
・10,16節/

6 マナセ王のしたことは、余りにも酷い悪行でした。当然、マナセに対する裁きが宣言されています。ところが、18節のマナセ王の最期はどうですか。どう思いますか。
・13〜14節/
・18節/

7 マナセは、普通の死を迎え、他の王と同じように葬られています。悪の限りを尽くした悪い権力者は、厳しい罰を受け、非業の最期になるべきだと考えるでしょう。しかし、歴代誌の記録を見てみましょう。マナセ王は、どんな目に会っていますか。マナセは、その時どうしましたか。王の心にどんな変化が起こったと思われますか。
・U歴代33:11〜13/
・ヘブル5:2,13:3/(参考)

8 人は、問題や事件で自分も痛みを覚え、悩みを経験した時、他人に対してそういう思いを与えていた自分の姿に気付くのです。主は、悪い王だったマナセの悔い改めと願いを聞いて、エルサレムへ戻してくださいました。主は、どういうお方だということが分かりますか。酷い目に会わされたことは、マナセにとってどういうことになりましたか。
・ヨエル2:13/
・詩篇119:67,71/

9 アッシリヤの牢獄で、胸を叩きながら悔い、嘆きながら主に祈ったマナセを主は顧みてくださいました。そこには、イエス様の十字架を自分の罪と裁きの身代わりだと信じた聖徒のような姿があります。マナセは本当に悔い改めました。真に悔い改めたなら、悔い改めに相応しい実を結ぶことになります。エルサレムに戻り、王位に復帰したマナセのその後の姿はどうですか。
・U歴代33:14〜16/

「命の実を刈り取ろう」

 そこには、以前とはまったく違うマナセ王がいました。愛と赦しの福音はこんなにも人を変えます。過去どんなに自分勝手に生きて来たとしても、主に背を向けて多くの間違いをして来たとしても、主の前に悔い改め、イエス様の十字架は私の罪の身代わりでしたと告白するなら、赦され、救いを受けます。ですから、今でも間に合います。権力者の心理から解放されて、主に従い、人々を愛し、仕える新しい生き方をすることができます。学びを通して与えられた、気付きや決心を分かち合い、祈りましょう。Tヨハネ1:9。

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