小グループで聖書を学ぶ
24 過越の小羊(U列王記23:1〜30)

「心の門を開いて」

 努力しても成果がなければ駄目だ、失敗だと言われますが、果たしてそうなのでしょうか。人々は、間違った成果主義にとらわれていると言われています。発見された律法の書を聞いて衝撃を受けたヨシヤ王は、努力して、信仰の改革を推し進めますが、その結果はどうなったのでしょうか。ヨシヤ王の姿から信仰者の姿勢を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 私たちは、仕事や生活において責任やビジョンを与えられたならば、それを成し遂げようと努力するでしょう。発見された律法の書を聞いて衝撃を受け、悔い改めたヨシヤ王は、主の御心から遠く離れた惨状を知って、何とかしなければと思いました。まず、何をしましたか。
・1〜3節/


2 ヨシヤ王は、指導者たちや民を集めて、律法の書を聞かせ、自ら国民の前で、主との契約を実行することを誓い、民もみなこの契約に加わらせました。4節以下には、偶像を全土から取り除くヨシヤ王の信仰改革の内容が列挙されています。北イスラエルまで行っています。しかし、民の反応がありますか。悔い改めているのでしょうか。
・4〜6節/
・15,19節/

3 民は悔い改めなかったようです。民は渋々仕方なく集まり、王命に従って偶像を取り除いただけなのでしょう。私たちが、仕事や生活の現場において、責任や役割を頑張って果たそうとするのですが、周りはそれに乗って来ない、協力してくれない、評価してくれないことがあります。何か自分が空回りしているようで、辛くなり、やめてしまいたいと思うようになるでしょう。ヨシヤ王はどうでしょうか。どんなことに励まされましたか。
・16〜17節/
・T列王13:1〜2/

4 ヤロブアム王がベテルで偶像崇拝を始めた時、やがてダビデの家に生まれるヨシヤという人がこの偶像の祭壇を取り除くと預言した預言者の記念の墓を見つけました。御言葉の導き、主からの使命感が、信仰者を動かしてくれます。ヨシヤ王は、民の姿に失望も挫折もすることなく、契約に従って、次にどんなことを再開しますか。それは、なぜですか。
・21〜22節/
・出エジプト12:21〜24/

5 過越のイベントは、小羊の犠牲によって主の民を救い出されたという主の愛とあわれみを覚えるためでした。しかし、民はその恵みを忘れて、偶像を拝んでいたのです。この過越は、イエス様に関して何を示したものですか。私たちにとって、どういうことになりますか。
・ヨハネ1:29, Tペテロ1:18〜19 /
・ルカ22:16,19〜20 /

6 ヨシヤ王は、国中で過越を守り行わせました。ところが、住民はどうでしょう。過越の中心は、小羊をほふって、その血を門柱と鴨居に塗ることです。救いの象徴である小羊の血です。民は、小羊を連れて来たのでしょうか。どのように過越の大イベントは行うことができたのですか。
・U歴代35:6〜7/


7 ヨシヤ王の情熱が、過越の大イベントを成し遂げさせましたが、民を悔い改めへ導き、ユダ王国を滅亡から救うことができたのでしょうか。そのように熱心に頑張ったヨシヤ王自身は、その後どうなりましたか。結末を知って、人はどう言うでしょうか。
・26節/
・29〜30節/

8 過越を行ったけれども、悔い改めはなく、王国の滅亡は変わりませんでした。それに、こんなに頑張っていたヨシヤ王が、突然戦死してしまいました。私たちが、どんなに努力して頑張っても、結果が出なければ失敗したと見られるでしょう。目に見える成果がでなければ、やり方が悪いから、努力が足りないなどと周りから言われるかもしれません。残念だし、辛くなります。イエス様の姿を見てみましょう。
・イザヤ53:2〜5/
・ピリピ2:8〜9, 使徒4:11〜12/

9 この20年後には、エルサレム神殿は焼失し、ユダ王国は滅亡して、バビロン捕囚となります。ヨシヤ王のあれほどの努力は無駄となったのでしょうか。信仰の改革は失敗だったのでしょうか。聖書は、こんなに熱心に努力したヨシヤ王について何と言っていますか。バビロン捕囚は、後にどうなりますか。
・25節, エズラ1:1〜4/

「命の実を刈り取ろう」

 民は、ヨシヤ王のおかげで無理にでも御言葉を聞くことができ、反発しつつも偶像を一掃することができました。王自ら財産を投げ出して過越を守らせ、命をかけて国のために戦ってくれました。そういうヨシヤ王の信仰と精神が、バビロンで生きて働き、帰還後の信仰改革につながりました。神の民、聖徒たちにとって、成功した人生か失敗した人生かは、神の前に立ってはじめて分かることです。信仰をもって、主の評価を思ってそれぞれの働きに臨むことを願います。適用を分かち合いましょう。U列王23:25。

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