小グループで聖書を学ぶ
25 聞きたいことだけ聞く者(U列王記24:1〜20)

「心の門を開いて」

 最近災害時に「正常性バイアス」という言葉をよく聞きます。客観的な情報を見ずに事態を過小評価したり、都合の悪い情報を無視して「自分は大丈夫」としてしまう心理作用のことです。また、「希望的観測」もよく聞きます。自分にとって都合の良い、期待感を込めた結果を想定して判断を下してしまうことです。滅亡寸前のユダの王や民は、まさにそのような状態でした。そこから私たちへの適用を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 この頃世界史では大きな出来事が起こります。中東の覇権を賭けたカルケミュの戦い(BC605年)で、バビロンがエジプトに勝利しました。エジプトは、中東での影響力を失い、これによってユダのエホアハズ王はバビロンに従属することになります。その後どういうことが起こりましたか。
・1〜2節, U歴代36:6〜7/
・10〜14節/

2 ユダは、バビロンの攻撃を受け、第一次バビロン捕囚となり、急速に滅亡へ向かって行きます。このような時、神の民の生きる道は何でしょうか。主に立ち返り、御言葉に聞き従うことでしょう。しかし、ユダの王たちは、どうでしたか。
・エレミヤ25:3〜4/
・U歴代36:12〜13/

3 預言者を通して御言葉を伝えさせましたが、王たちは聞こうとせず、耳を傾けることもしませんでした。では、どんな人たちのどんなことに耳を傾け、聞いていましたか。
・エレミヤ27:14,16/
・エレミヤ28:11, 29:8/

4 その頃偽預言者が登場し、王と民に偽りの預言を聞かせます。何の裏づけもありません。希望的観測を言ったに過ぎません。事態を過小評価して、都合の悪い情報を無視しているのです。勝手に言うのです。なぜ、偽預言者はそんなでたらめを言い、王や民はそんな偽りを聞くのでしょうか。あなたは、どう思いますか。
・イザヤ30:10/(参考)
・Uテモテ4:3〜4/(参考)

5 人は都合の悪いことは聞きたくないし、自分の願っていることだけ聞きたいのです。ユダは征服される、バビロンに連れて行かれるなんて、誰も聞きたくない、そんなことは起こるはずはないと思いたいのです。それで終わりだと思うからです。でも、主が預言者を通して伝える御言葉は、どうするように勧めていますか。
・エレミヤ27:11〜12/
・エレミヤ29:4〜7/

6 その捕囚の地でもしっかり働き、生活基盤を築き、その国で繁栄するようにしなさい。そのためには、その地の繁栄のために祈りなさいと言うのです。驚くべきことです。事態を過小評価したり、都合の悪い情報を無視したり、自分勝手な希望的観測で想定するのとは、まったく違うものです。さらに、主は、どんな約束をされましたか。
・エレミヤ29:10/


7 主は、預言者を通して繰り返し、偽預言者の偽りや希望的観測を聞かないようにと警告していました。なぜ繰り返されているのでしょう。もちろん、ユダの人々が聞こうとしなかったからなのですが、聖書を読む聖徒たちに対して何を求めているのでしょうか。
・エレミヤ27:9,17/
・エレミヤ7:12,11:4/

8 人は、自分の思いを中心にして生きていると、願わない客観的な言葉よりも、自分に都合のよい言葉に耳を傾けるようになります。仕事や生活の現場において、客観的な見方をしないで、そんなことになるはずがないと事態を過小評価したり、聞いていられないと言って都合の悪い情報を無視し易いのです。自分が望まず、気持ちに合わなければ、する必要はない、大丈夫だと希望的観測で判断してしまうのです。そんなケースを思い出し、分かち合ってみましょう。



9 ユダは、神の言葉に心を留めるのではなく、勝手な希望的観測で、裏切ったり頼ったりして生きる道を求めました。それで、滅亡に至りました。神の民であるユダが生きて行く道は、エジプトでもバビロンでもなく、主なる神の道です。イエス様に救われ、神の民となった私たちの生き方は、どのようにすることですか。
・エペソ5:10/
・ローマ12:2/

「命の実を刈り取ろう」

 自分の思いを中心にして生きると、神の言葉でさえ自分の都合の良い御言葉だけ期待するようになります。イエス様の救いは人々の罪を背負って十字架にかかることでした。それは、イエス様に勝手な期待や希望を寄せる者にとって絶望となりましたが、復活されて救いの道が与えられました。ですから、私たちも、自分の望まない状況でも、都合の悪いことを無視したり、勝手な希望的観測ではなく、主の導きと御言葉に従います。そこにこそ希望があります。適用を分かち合い、祈りましょう。エレミヤ29:11。

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