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4 信仰の器を準備しなさい(U列王記4:1〜7)

「心の門を開いて」

 列王記は、王たちの政治や戦いが記録されていますが、個人の生活のことも記されています。神様は、私たち一人一人の生活のことも覚えていてくださり、守り、導いてくださるということを教えています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 人生を歩む時、色々な出来事に会います。うれしい楽しいことばかりでなく、辛い悲しいことにも出会います。次々起こる問題によって、落胆し、絶望することもあります。深い心の傷を抱いて生きることもあります。この箇所に登場する預言者学校の学生の妻は、どんな状況にありましたか。
・1節後半/
・哀歌3:54/

2 この女性が置かれた状況は、夫が若くして死に、残された子どもたちも、借金のために奴隷にされそうな苛酷なものでした。どんなに心の痛手となったことでしょう。現代社会でも、問題や事件が起こり、人々を痛みや不安に陥れます。でも、最も怖いのは、事件や問題ではありません。事件や問題のために絶望することです。この時、この女性はどうしましたか。それは、誰のところに行って、誰に訴えたことになりますか。
・1節前半/
・詩篇18:6/

3 絶望的な状況になったとしても、主なる神の御前に来て、御前に祈り訴えます。それが、絶望から希望への転換点となります。なぜ、そうするのですか。
・詩篇40:1〜2/
・マタイ11:28/

4 失望落胆する時、倦み疲れた時、憂える時、イエス様に来てください。主を見上げながら、心の中にある暗い現実を話してください。経済的なこと、健康のこと、将来への不安、家族の心配、仕事の問題など主に祈って、聞いてもらいましょう。主なる神は、この女性の訴えにどのように応えてくださったのでしょう。エリシャを通してどんな導きを与えてくださったのでしょうか。
・2〜4節/
・/

5 何か難しいことを要求したのでしょうか。女性ができる日常的なことでした。納得できることなのではないでしょう。なぜ、こんなことをするのと質問したり、そんなことではなく借金が返せるようにしてくださいとか言いたいところです。女性は、どのようにしましたか。その結果、何が起こりましたか。そうするには、何が必要ですか。
・5〜6節/
・ヘブル11:6,ローマ16:19/

6 主の恵みや祝福を経験できるかできないかは、信仰の従順か否かです。油は、集めた器の分量だけ注ぐことができました。私たちは、これを通して、私たちは自分の信仰の分に応じて祝福を受ける者であることを学びます。イエス様は、人々に恵みと祝福を与える時、何と言われましたか。
・マタイ8:13/
・マタイ9:29/

7 この時、器がなくなるまで油が止まることがなかった奇跡を2人の子どもが体験します。自分たちの母が、真実に主に拠り頼み、御言葉に従い、主のあわれみと恵みを受けたことを見ました。主を恐れる父の信仰は、こうして子どもたちに受け継がれました。これが、何よりも大きな恵みです。召された夫の信仰の遺産です。油が用意した器に満たされたことを感謝して報告すると、主は、エリシャを通してどんな恵みを教えてくれましたか。
・7節/
・/

8 他の人であれば、夫が死に、借金が残され、子どもたちが取られてしまう状況では、「私にはもう何もない」と言うでしょう。しかし、この女性は「油の壺一つしかない」と言いながら、その一壺の油を用いました。ここから、神のあわれみの奇跡が始まりました。人は、問題や挫折で絶望に陥ると、「私にも何もない、残っていない」と言います。しかし、あるのです。残されています。「これしかない」のではなく、「これがあります」から始まります。この発想の転換について、あなたの思うことを分かち合ってください。



9 主なる神様は、罪のゆえに滅ぶはずの者たちを救うために御子を十字架に送られました。ここに神の愛とあわれみがあります。私たちのためにご自分の御子を犠牲にされるほど愛してくださいました。ですから、絶望にある時、どんな確信を持つことができますか。
・ヨハネ3:16/
・ローマ8:32/

「命の実を刈り取ろう」

 主なる神を信頼して、絶望の時も神に従えるのは、救い主イエス様を私たちに送られたという事実です。私たちの問題は、患難や挫折、状況や環境の問題ではなく、信仰の問題なのです。主がどれほど私たちを愛しておられるか気付かないことです。信仰の器を準備することが何よりも大事です。決心したことや導かれたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。詩篇18:6。

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