小グループで聖書を学ぶ
5 確かな信仰、貴い人格(U列王記4:8〜37)

「心の門を開いて」

 私たちは、イエス様の福音を知っているし、神を信じているのですが、主を無視して、神がおられないかのように振る舞い、自分の考えや計画で歩んでしまうことがあります。それでも、人生の問題に出会えば、主に戻ります。しかし、心が変化しなければ、またそれを繰り返してしまいます。素晴らしい女性の姿を通して、確かな信仰と貴い人格を学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今日の主人公は、「裕福な女」と紹介されています。裕福なというと単にお金持ちという印象を与えますが、裕福と訳された言葉は、精神的に豊かな人、人格的にも立派な、貴い人を意味しています。確かに、内容を見ると、物質的に豊かな人でしたが、人格的に優れた人でした。確かな信仰で貴い人格の女性には、どんな特徴がありますか。それは、誰にしていることになりますか。
・8〜10節/
・マタイ25:40/

2 この女性は、人をもてなし、仕える人でした。この女性は、預言者エリシャがシェネムを通りかかる度にもてなし、ついには家の屋上にエリシャの部屋まで作り、家具まで用意しました。単に裕福だからというより、細やかな配慮がなければ、できないことです。預言者に仕えることを通して、主に仕えていたということです。お礼をしたいという預言者に対するこの女性の姿から、どんな特徴を見ることができますか。
・12〜13節/
・ピリピ4:11〜12/

3 この女性は、足ることを知り、見返りを求めない人でした。人々は、かえって報いを期待し、見返りのないことに不満を持つのではないでしょうか。この女性に子どもが与えられました。見返りを期待しないで働くと、必ず結果があります。これは、信仰の結果です。あなたは、主に仕えるように人に仕え、見返りを求めないこの女性の特徴から、どんなことを学びますか。
・16〜17節/
・ローマ12:2 /

4 あれほどの恵みの結果であった一人息子が、突然死んでしまいました。これほど悲しいことに出会えば、たいていの人は、絶望し、慟哭し、悲嘆にくれるでしょう。茫然自失として、憂いに沈むでしょう。この女性は、どのようにしましたか。それは、どんな信仰を意味していますか。
・18〜22節/
・ルカ18:1,ローマ10:11/

5 女性は、息子の死を誰にも知らせていません。騒いだり、不安や恨みを言うこともありません。つまり、絶望していないということです。神様がくださった子どもだから、神様がどうにかしてくださると信じたのです。それで、どうしましたか。それは、誰に委ねたことになりますか。
・28,30節/
・/

6 問題や事件の時、不安や恐れを抱き、神様に不満や恨みをぶつけ、否定的な行動と言葉が出るようになれば、ますます深い絶望に陥るしかありません。問題に出会った時、その問題のために口を開いて騒いだり、否定的なことを言ってしまったことがないでしょうか。そのために、心に痛みを覚えたことがありませんでしたか。
・/


7 エリシャの部屋の寝台に息子を横たえてから、この問題は、神様の問題となりました。私たちの問題をイエス様に委ねるなら、それはイエス様の問題になります。エリシャを通してこの女性の息子は生き返りました。ゲハジの方法とエリシャの方法の違いは何ですか。何が大事だというのですか。
・29,31節/
・33〜35節/

8 34節のエリシャの行動は、エリシャがその子どもと同じになっているということです。つまり、十字架につけられたイエス様の業を見せているのです。イエス様が十字架にかかられたことは、罪人である私たちと同じになられたことです。罪人として十字架にかかり、私たちの代わりに刑罰を受けられました。このイエス様の十字架の御業をどう思いますか。
・イザヤ53:5〜6/
・ローマ6:23/

9 イエス様の十字架の御業によって、私たちは、罪赦されて、永遠の命を得ることができるようになりました。なぜ、何の罪もない聖なる神の御子が、私たちに代わって罪のための恐ろしい裁きと罰を受けられるようにされたのでしょうか。
・Uコリント5:21, Tヨハネ4:10/

「命の実を刈り取ろう」

 罪人の私たちのようになられた主の愛が、私たちを救ったのです。救いについて自分の考えや基準を当てはめようとするのは、子どもの顔に杖をつけるようなことです。エリシャは、祈りました。そして、主の方法を取りました。私たちに与えられた救いの方法が、イエス様の十字架です。愛なるイエス様が、私のために命を差し出されました。これより大きな愛はありません。今日の学びを通して示されたこと気付かされたことを分かち合い、祈りましょう。ヨハネ15:13。

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