小グループで聖書を学ぶ
6 と思っていたのに(U列王記5:1〜19)

「心の門を開いて」

 日常生活や仕事において、固定観念や思い込みが行動を妨げ、先入観が知らず知らずに自分の行動を規制してしまう危険があります。固定観念や先入観にとらわれると他人の意見や周りの状況を受け入れることができなくなり、改善や進展ができなくなってしまいます。信仰の決心や成長においても、そうです。一人の人物が救われる出来事から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 この箇所の主人公であるナアマンはどんな人ですか。彼を助けることになる少女はどんな人ですか。2人を比べてみてください。どんな違いがありますか。
・1〜2節/


2 ナアマンは、北方の強国であるアラムの将軍であり、戦いにも勝利し、アラムの王様に信頼され、重んじられていました。多くの財産を持っていました。何一つ欠けたところがないような人でしたが、ツァラアト、つまり重い皮膚病に冒されていました。少女は、戦いで捕虜となってアラムに連れて来られ、ナアマンの家のしもべとなっていました。何も持たないように見えるのですが、確かな信仰を持っていました。この信仰によって、どんな助けをナアマンに与えることになりますか。
・3〜5節/


3 少女は、その境遇を嘆くのではなく、その場で信仰をもって生きて、誠実に働き、その主人から信頼も得ていました。敵の関係ですが、病気に悩む主人をあわれみ、信仰の勇気をもって、主人を救う提案をしたのです。少女の姿は、福音はどういうものか、救われるためにはどうすることが必要だと教えていますか。
・ローマ10:13〜14 /


4 少女をナアマンの家に置かれたように、私たちも周りの人々のために、そこに置かれているのです。人々を主に導き、主の助けを受けるようにすることができます。この少女の誠実な生き方を見て信頼し、ナアマンはイスラエルの預言者の所に行こうとしましたが、彼の思いが癒しの障害となります。どうして王宮に行ったのですか。エリシャの所へ行った時の様子は、ナアマンのどんな思いを表していますか。
・7〜9節/
・ダニエル5:20/

5 イスラエル王の宮殿に行ったのも、馬と戦車をもって来てエリシャの家の入口に立ったのも、彼の権威を見て、預言者エリシャが来て、治してくれるはずと思っていたからです。そうされなかったことで、ナアマンのプライドが傷付きました。あなたがプライドを傷つけられたと感じるのは、どんなことですか。



6 エリシャは、家の外に出ることなく、しもべを通して処方箋を与えるだけでした。このエリシャの態度に対してナアマンの反応はどうですか。その理由はなんですか。11節末の言葉に注目しましょう。
・11〜12節/


7 ナアマンが怒ったのは、このように癒してくれるはずと思っていたのに、そうされなかったからです。どうせ洗うなら、大きくてきれいなダマスコの川の方が治るのではないかと思ったからです。ナアマンの固定観念や思い込みとは違ったからです。固定観念や思い込みのために、失敗したり、変化に対応できなくなったことはありませんか。



8 ナアマンは、怒ってアラムに帰ろうとしました。このままでは、ナアマンは癒される好機を失うことになります。救われる機会を逸してしまいます。この時、一緒に来ていた彼のしもべが助けます。どんな言い方ですか。何を気付かせようとしているのですか。気付いたナアマンは、どうしましたか。
・13節/
・14節/

9 確かに難しいことを言われたら、何とか頑張ってみようと思っていたのでしょう。あまりにも簡単なことを言われたので、信じられなかったのです。これもまた、思い込みです。信仰は、難しいことを言っているのでしょうか。どうすれば救われると言っていますか。簡単なことを言っているのであれば、どうすることが大事ですか。
・ローマ10:9 /
・ヘブル4:7 /

「命の実を刈り取ろう」

 プライドを捨てて行うと、彼のからだは元どおりになりました。固定観念や思い込みを置いて、御言葉に聞き従うなら、それは小さな決心ですが、そこに大きな主の力が働きます。奇跡が起こります。私たちに与えられた救いの処方箋は、イエス様の十字架です。信仰を告白して洗礼を受けることが、救いの処方箋です。固定観念や思い込みではなく、素直に御言葉によって生きてみましょう。今日の学びを通して、気付かされたことや導きを受けたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。ヘブル4:7。

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