小グループで聖書を学ぶ
8 良い知らせの日なのに(U列王記7:1〜20)

「心の門を開いて」

 ドラマや映画の中には、描いている物語そのものの他に、メッセージが込められていることがよくあります。聖書もそうです。今日の箇所は、戦いで兵糧攻めが行われている中での出来事が記されているのですが、大切なメッセージが込められています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 この頃、北イスラエルに飢饉が起こり、そこにアラムが大軍を率いて攻めて来て、首都サマリヤを包囲しました。町全体が城壁に囲まれており、サマリヤの民全体が兵糧攻めのために飢餓で苦しんでいました。普段食べないようなものまで大金で売られており、餓死者が出ていました。その時、王から送られた侍従、大臣に対してエリシャは、何を告げましたか。それは、どういうことですか。
・6:24〜25/
・1節/

2 アラムの兵糧攻めによって、都サマリヤでは食べ物にもならないようなものが大金で売られているけれども、明日には食料が普通の値段で買えるようになる、つまり、兵糧攻めは終わるというのです。明日には助かるという朗報を伝えてくれたのです。しかし、王の大臣は、何と答えていますか。民全体が兵糧攻めのために飢餓で苦しんでいる状況での彼の答えについての印象はどうですか。
・2節/
・/

3 人生において危機の時があります。仕事や勉強の危機、家庭や家族の危機、健康や経済の危機があります。危機の中で、主の御言葉を聞かなければなりません。大臣のように反応してはなりません。状況は変わらないと断定してはなりません。自己中心や責任転嫁を止めて、神のあわれみを求めなければなりません。朗報を否定し、聞こうとしなかった大臣はどうなりましたか。強調されていることは、何ですか。
・16〜17節/
・19〜20節/

4 神のあわれみを受け、良いニュースを聞くことができたのは、最も危機に瀕して、切実に助けを求めていたツァラアトに冒された人々でした。病気のために、人生は破綻し、いつ死ぬか分からない人々でした。当然食料危機になれば、施しを受けることはできません。餓死寸前だった彼らが考えたことは、何ですか。彼らの考え方の論理は、どうですか。
・3〜4節/


5 4人の病人は、座して死を待つよりは、少しでも可能性のある方を選択して、アラムの陣営に行きました。これが、命拾いとなりました。人は、今の生活、生き方ではむなしい、希望がないと言います。そのままで希望がないならば、イエス様の救いに希望をかけてもいいでしょう。座してそのままならば、イエス様の救いに身を投じてみませんかと勧めましょう。陣営に行ってみると、どうなっていましたか。彼らは、どうしましたか。
・5〜7節/
・8節/

6 アラムの軍隊は、陣営の食料、衣服、武器を置き去りにして、逃げ去っていました。病人たちは、残されたものをたらふく食べたり飲んだり、銀や金や衣服を持ち出し、それを隠しに行きました。それを繰り返しました。そうしているうちに、彼らの心に同じ思いが生じて来ました。どんなことですか。
・9節/


7 「良い知らせ」という言葉が強調されています。良い知らせと言えば何を思い出しますか。新約聖書では、特に何を意味していますか。
・使徒13:31〜32/
・ローマ10:15/

8 覚醒した彼らは、私たちが、たらふく食べたり飲んだりして楽しんでいる間も、町の中にいる多くの人々は、この時間にも飢えて苦しみ、どんどん死んでいる。私たちは間違っている。明日まで黙っていたら、罰を受けるだろうと言って、町へ知らせに行きました。パウロの証しを参照しながら、9節について思うところを分かち合いましょう。
・9節/
・Tコリント9:16/

9 世の人々を見ると、サマリヤの城壁の中に閉じ込められている人々のようです。自分の築いた城で人生を享受しようとしたけれども、次から次に起こって来る人生の問題に囲まれて、苦しみ、痛み、希望を失っています。家庭という城の中に夫婦間の傷があり、子どもの痛みがあります。職場という城の中で人間関係に痛み、成果主義に苦しめられています。社会というサマリヤで、人々は恐れや不安に閉じ込められています。何が必要ですか。
・ローマ10:14〜15 , 15:20〜21/

「命の実を刈り取ろう」

 今日の箇所には、兵糧攻めの戦いが記されていましたが、この箇所を通して、福音が知らされていることの幸いと良い知らせを伝えることの大切さを学ぶことができました。与えられた気付きや導きを分かち合い、互いのために祈りましょう。ローマ10:14〜15

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