小グループで聖書を学ぶ

1 ああ、なにゆえに(愛歌1:1〜6)

「心の門を開いて」

 「夏草や兵どもが夢の跡」とは、松尾芭蕉が平泉で奥州藤原氏の栄華の跡を俳句にしたものですが、そこで杜甫の春望「国破山河在、城春草木深」を思い出して、時が過ぎるまで涙したと記されています。聖書の哀歌もまた、南ユダ王国の滅亡とエルサレムの荒廃を嘆いた歌です。そんな嘆きと悲しみの歌から私たちへのメッセージを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 バビロン帝国によって南ユダ王国が滅亡し、エルサレムと神殿が破壊され、人々が捕囚として連れ去られました。旧約聖書をギリシャ語に訳した七十人訳の哀歌の序文には、「イスラエルが捕囚となり、エルサレムが廃墟とされた後に、エレミヤが座して泣き、エルサレムのために哀歌を作って言った」とあります。まず、どんな嘆きや悲しみが歌われていますか。その嘆きや悲しみで強調されていることは、何ですか。
・1〜2節/


2 ひとり寂しく、慰める者もなく、すべての者から見捨てられ、泣き続けているという徹底的な孤独感、空虚感が強調されています。どれほどの嘆き、悲しみの中にいたのでしょうか。さらにエルサレムは、どんな苦しみを受けていたと嘆いていますか。
・3〜4節/


3 悲しみが深いのは、国が滅びて都が破壊されただけでなく、捕囚になったその地で労役と苦しみの中にありました。神様が選んだ国なのに滅び、神が選んだ民が苦しみ、神殿が廃墟となったという信仰的な痛みもありました。あなたも、このような孤独感や空虚感に覆われ、心の痛みを覚え、嘆きと悲しみに陥ったことがありましたか。



4 次の節には、エルサレムから栄光が去り、民が捕囚になって、捕らえ移されて行く惨状が表現されていますが、そこには、なぜエルサレムがこのような状態になったのか、その理由が記されています。同時代の預言書エレミヤ書も引用して、確認しましょう。
・5〜6節/
・エレミヤ3:8〜9, 6:13〜15/

5 木や石で作られた偶像をおがみ、忌むべき偶像礼拝の罪を犯し、神に背を向けていました。それゆえ、「彼女の多くのそむきのゆえに、主の憂いを与えられた」のです。このエルサレムの背きの罪こそ、嘆くべきことでした。私たちは、神様に対してどうでしょうか。私たちの偶像と言えば、どんな偶像がありますか。それが罪のリストに入っていますが、なぜだと思いますか。
・Uテモテ3:2/
・ピリピ2:4/

6 自己中心、利己主義という偶像は、自分を愛するあまり、神に背を向けて、背信の罪を犯し、様々な罪を犯すようになります。私はひとりぼっちだ、私は愛したが、だれも私を慰めてくれないと嘆きます。しかし、それは、違います。そのような時も、主なる神は何と言われていましたか。神に背を向けていた私たちにどうしてくださったのですか。
・エレミヤ31:3/
・Tペテロ3:18,エペソ1:7/

7 もともと、私たちは神を知る前から、神の御心から外れ、神に敵対し、背きの罪のために滅んでしまう者でした。そんな私たちをあわれみ、愛し続けてくださり、御子イエス・キリストを世に遣わされ、私たちの罪の代わりに十字架に渡されました。背きの罪を犯していた神の民は、どうすればいいのでしょうか。
・黙示録2:4〜5/
・Tヨハネ1:9/

8 嘆いて、悲しんで泣く者には、何が必要ですか。イエス様は、疲れた人や重荷を負う人に何と言われましたか。思い煩うとき、どうするように勧めていますか。
・マタイ11:28/
・Tペテロ5:7/

9 エレミヤは、背きの罪を犯したユダの民に神の悲しみや戒めを伝えるとともに、捕囚になって苦しみの中にある民に神からのあることを伝えました。それは、嘆き悲しむ今日の聖徒たちにも与えられています。それを聞いて、あなたは何を感じ、どうしようと思いましたか。
・エレミヤ29:11,14/

「命の実を刈り取ろう」

 エレミヤは、バビロンに捕囚になって嘆き、悲しみ、苦しみの中にあった民に希望を伝えました。神は、バビロンから救い出すことを約束されました。
もし私たちが今苦しみを受けているとしても、そこにも神の支配があります。嘆き悲しみの中に希望を持つことができます。イエス様を信じて救われた者には、たとえ今日嘆き、悲しみの歌の中にあっても、明日には喜びの歌があります。今日の学びを通して与えられた気づきや適用、決心を分ち合い、互いのために祈りましょう。エレミヤ29:11。

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