小グループで聖書を学ぶ

5 主は敵のように(哀歌2:1〜10)

「心の門を開いて」

 歴史においては、ユダ王国は、バビロン帝国によって滅ぼされ、破壊され、捕囚とされたとなっています。しかし、哀歌には、ユダを滅ぼしたのは、バビロン帝国ではなく、主なる神だという衝撃的なことが記されています。それを知って、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 主がユダ王国を滅ぼし、主がエルサレムを破壊されたと言っていますが、どうして主はそんなことをされたのですか。どんな感情表現が繰り返されていますか。
・1〜3節/


2 主は、エルサレムの要塞や城壁、宮殿や住まいをどのようにされましたか。どんな表現が繰り返されて、その凄まじさが表現されていますか。「呑み込み」も、破壊のことを比喩的に表現する時に使われる言葉です。
・2,5,8節/


3 打ち壊し、打ち倒し、荒らし、滅ぼし、砕くという破壊を表現する言葉を繰り返し用いることで、その徹底さを表現しています。神は、ご自分の民を憎んだから、ここまでされたのですか。違うなら、どういうことですか。それは、主がエルサレムを特別に呼んでおられることで分かります。何と、呼んでいますか。
・黙示録3:19, イザヤ54:8 /
・1.4.8節/

4 主の破壊は、城壁や要塞、宮殿や住まいだけではありません。主は、何まで破壊し、荒らさせましたか。主が大切にされているものをご自分で破壊し、投げ捨てて、ご自分を傷つけているようです。ここまでされる主なる神様の御心を想像してみましょう。このような主を見て、あなたが思うことは何ですか。
・4,6〜7節/


5 民のご自分への礼拝を望んでおられる主が、ご自分の神殿をご自分で破壊し、荒らしたということは、御自身にとって辛いことではなかったでしょうか。そんなにもエルサレムを破壊し、打ち壊している主は、民の敵になられたようです。なぜ愛するご自分の民に対して「敵のように」なられたのですか。元々、エルサレムと神の民はどういう存在でしたか。それがどうなってしまったか。そこから考えてみましょう。
・エレミヤ2:6〜8/
・エレミヤ19:15/

6 主の民は、神の民としての特権を持ち、多くの恵みを受けました。特権や恵みを受ければ、その分要求されることもあるでしょう。「主の娘シオン」と特別に呼ばれた主の民は、偶像に仕え、背きの罪を犯し、主の御言葉に聞き従いませんでした。イエス様を信じて救われた私たちは、どんな特権と恵みを受けていますか。それに相応しく生きているか、顧みてみましょう。
・ヨハネ1:12,エペソ1:7/
・Tヨハネ5:11,Uテモテ4:18/

7 神の民は、神の民としての責任を考えるのではなく、特権の観点から恵みだけを享受していました。私たちは、救いの恵みに応えて、その素晴らしさと恵みをあらわして生きたいものです。主がエルサレムを徹底的に破壊されたと聞いた神の民は、どんな反応を見せましたか。それは、神の民のどんなことを表した姿ですか。
・10節/
・イザヤ37:1,エレミヤ4:8/

8 神の民が悔い改める姿のほとんどは、「着物を裂き、荒布をまとい、悲しみ嘆く」というものです。ところが、エルサレムの長老たちは、沈黙という悔い改めの姿を見せています。昔から長老たちは、偉大な神の導きと助けを語り継ぎ、神の命令と戒めを教える働きを担っていた者たちでしたが、なぜ、この時沈黙しているのでしょうか。



9 滅亡して破壊されてから悔い改めても、と人は言うでしょう。しかし、悔い改めて祈る者だけに希望があります。御言葉は、悔い改める者に対して神がどのような方であると教えていますか。また、どうしてくださるという約束をしていますか。
・ヨエル2:12〜14,エレミヤ 3:12〜14/
・イザヤ40:2,9/

「命の実を刈り取ろう」

 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださり、シオンに連れ帰ると約束されておられました。シオンに良い知らせを告げる者とは、イエス様のことです。イエス様を信じる私たちに、イエス様の十字架によって、罪の赦しと救いが与えられていることを感謝します。悔い改めて、救いの恵みに答えて信仰生活をして行くことを願います。学びを通して与えられた気付きや悔い改め、決心を分ち合い、互いのために祈りましょう。ヨエル2:12〜14。

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