小グループで聖書を学ぶ
7 主のみ心ではない(哀歌3:25〜39)

「心の門を開いて」

 親の心子知らず、子の心親知らずということわざがあります。親子関係や夫婦関係だけではなく、様々な人間関係において、互いの心、本心が分からないと、不和が生じたり、疎遠になったりします。でも、私たち神の民も、主のみ心を知らないと、愛されていることが分からず、神を恨んだり、離れたりします。今日の箇所は、詩と言う表現を通して、主と人との関係についてより深く教えています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今日の箇所の25〜39節では、24節までの「私」という人称がなくなり、人と神の名称だけになっています。そうすることで、神と人との関係に読者の目を向けさせ、信仰の真髄へと導いてくれます。25〜27節の原文では、「トーブ、良い」という単語が各節の文頭に登場して、書かれています。25節も原文では「主は良い」となります。どんな印象をうけますか。どんな内容ですか。
・25〜27節/


2 トーブには、良い、善、幸いという意味があります。確かに、主に望みを置き、主を求め、静まって待ち望むなら、幸いを得るようになるでしょう。しかし、3番目の良いは、どうでしょうか。それに続く勧めは、どんな内容ですか。
・27〜30節/


3 くびきとは、避けられない苦難、負わされた重荷、担うべき責任ということです。「若い時のくびき」とは、苦難が一時期であり、それが最終的なことではないということです。「口を土のちりにつけよ」とは、破壊されほこりだらけになったエレサレムを受け止めよということです。つまり、苦難や問題に直面する者に対して、今経験している状況を信仰で受け入れなさいと言うのです。このような勧めに対して、あなたはどう思いますか。
・詩篇119:71,ヨブ40:4/(参考)
・マタイ5:39/(参考)

4 なぜ、このように主にあって良いと受け止めるように勧められるのでしょうか。なぜ、患難や苦しみの中にあっても、信仰で受け止められるのでしょうか。31〜33節の原文では、「なぜなら」を意味するキーという言葉が、各節の始めに並んでいます。どんな印象を受けますか。どんな理由が記されていますか。
・31〜33節/

5 主はいつまでも見放してはおられない、たとい悩みを与えたとしても恵みによって人をあわれまれる、子らを意味もなく苦しめ悩ませることはないというのですが、それを知らないで患難や苦しみのある人は、どんな気持ちになり易いですか。



6 33節の原文は、「人の子らを苦しめ悩ませることは、主の本心ではない」となっています。神様の本心を知っているならば、苦しみや痛みの裏にどのようなことを知ることになりますか。主に対して、どのような思いになりますか。
・エレミヤ29:11/
・ミカ7:18/

7 私たちが勝利した信仰の人生を歩めるかどうかは、神様の本心を知っているかにかかっています。患難や問題の中で苦しみ、葛藤している信仰者が、31〜33節のような神様の御心を知り、主の本心を考えたなら、その人の心情はどんな状態に変化し、神様との関係はどうなる可能性がありますか。思うところを分かち合ってみましょう。



8 「神が善なるお方であり、良いことをされる方である」という真理を見失う時、私たちは混沌の中をさまようことになります。ですから、詩人は世のすべてについて主なる神様がどういう方であるか、人と神の関係がどうかを確認させています。それは、どんなことですか。
・34〜39節/


9 主なる神は創造者であり、私たちは被造物です。詩人は、「主アドナイ」や「主ヤハウェ」だけでなく、「いと高き方、エルヨーン」を用いて、創造主である神と被造物である人との関係へと導いています。私たちは、善を許される神様を当然と理解しますが、悪を許される神様に対しては戸惑い、拒否感を持つことがあります。裁きにあっているのかと思われるなら、拒否感はさらに大きくなります。何よりも、イエス様こそが、神様の御心の結晶です。神様は、イエス様を通して私たちに何をしてくださいましたか。
・エペソ2:4〜5,Tペテロ1:3,/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちが被造物として神の権威に従い、信頼する時、私たちが苦難と試練の中に落ちたとしても、いと高き方が働いてくださいます。自分の罪を隠さず、速やかに悔い改め、主に立ち返らなければなりません。悲しく辛い中でも希望の歌を歌うことができる理由は、主なる神が私たち愛し、私たちに誠実を尽くし、私たちを建て直してくださるからです。与えられた気付きや導きを分ち合い、互いのために祈りましょう。エレミヤ31:3〜4。

戻る