小グループで聖書を学ぶ

8 深い穴から御名を呼び(哀歌3:40〜66)

「心の門を開いて」
 
沽券にかかわるという憤慨の言葉をよく聞きます。自分の品位や価値が下がり、プライドや面目が保てないという意味で使われる言葉です。でも、人の言うことで、自分の品位や価値が下がるのでしょうか。今日の箇所には、敵からの嘲りやののしりに対する詩人の反応が記されています。そこから大切なことを学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 哀歌の詩人エレミヤは、民に何かをするように呼びかけています。それは、どんなことですか。それをするために必要なことは、何だと教えていますか。
・40〜41節/
・詩篇139:23〜24/(参考)

2 自分の生き方や人生の歩みを尋ね調べて、悔い改めと祈りを呼びかけています。エレミヤは、「私たち」と自分も含めて、その悔い改めの祈りにおいて、その罪の結果としての神様のさばきを告白しています。祈りの中で、自分たちをどのように見ていますか。特に諸国の人々から自分たちがどのようにされることを主が許されたと受け止めていますか。それを読んで、どんな感想を持ちましたか。
・42〜45節/


3 「諸国の民の間でごみ屑とされた」とは、英訳では「諸国民の間で汚し、拒否させた」となっています。どうして、そんなことを受け止められたのでしょうか。迫害やののしりを受けた使徒パウロは、そんな自分をどのように受け止めていますか。回心以前のパウロと比べて、どうですか。なぜ、パウロは自分をそのように言っているのですか。
・Tコリント4:12〜13, ピリピ3:4〜7/
・エレミヤ13:9〜10,15,17/(参考)

4 エレミヤは祈った後、敵のしたこととそれに対する自分の反応を繰り返し語っています。まず、敵がエレミヤたちにしたことは、どんなことですか。「私たちに向かって口を大きく開け」とは、何のことですか。以前学んだ箇所を参照しましょう。
・46〜47節/
・哀歌2:15〜16/

5 なぜ人は悪口や中傷が好きなのでしょうか。人にダメージを与える行為なのに、どうして止められないのでしょうか。人が劣等感を抱くと、それは強烈な否定的感情なので、それを払拭したいという衝動にかられ、悪口や中傷として出したくなると言われます。そんな敵の嘲りや悪口に対して、エレミヤは、怒りを敵にぶつけたり、自分も敵に悪口や嘲りを言ったりしていますか。どんな反応を見せていますか。どこに心を向けていますか。
・48〜51節/
・Tペテロ2:19/(参考)

6 次の敵の仕業は、「私の敵」というように、エレミヤ自身の体験のようです。エレミヤは、バビロンは悔い改めない民への神のさばきであるから、悔い改めて降参せよと言っていました。反発した民から、どんなことを言われ、どんなことをされましたか。その時のエレミヤの心境はどうですか。エレミヤ書の事件の箇所も参照しましょう。
・52〜54節,/
・エレミヤ38:6/

7 エレミヤが落とされた穴には、泥が溜まっていて、彼は泥の中に沈みました。どれほど恐ろしかったでしょうか。そのような状況で、エレミヤは何をしましたか。その中で、どんなことを思い出しましたか。
・55節,詩篇40:1〜2 /
・56〜59節,詩篇103:2/

8 エレミヤが深い穴に落とされた時でしょうか。敵たちは、そんな状況にいるエレミヤに対して、どんなことをしていますか。エレミヤは、そのような敵について主がどんなことをするように祈り要請していますか。これは、信仰的でないと見られるかもしれませんが、結局何を願っていることになりますか。
・61〜63節
・64〜66節, ローマ12:19/

9 エレミヤは、裁きを要請しているだけで、自分で仕返ししようとしてはいません。報復やさばきは主のなさることだとわきまえて、神の御怒りに委ねています。私たちも、多くの人間関係の中で、悪口や嘲り、叱責や非難を受ける時があります。そんな時、どのように受け止め、反応して行きますか。イエス様の姿を参照して、心に導かれた思いを分ち合いましょう。
・マタイ27:31,39,41,44/
・Tペテロ2:22〜23/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、悪口や嘲りを受けて、どんなに悔しくて、憎らしく感じても、神様に訴えるだけにして、主に委ねます。そして、救われた恵み、主の慈愛やあわれみを思い出して、祈ります。それによって、信仰的自己肯定感が増し、仕返しや怒りの思いが薄れます。きょうの学びを通して、気付かされたことや悔い改めたこと、受けた恵みや励ましを分ち合い、互いのために祈りましょう。Tペテロ2:22〜23。

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