小グループで聖書を学ぶ
9 金は黒ずみ、黄金は色あせ(哀歌4:1〜10)

「心の門を開いて」

 皆さんは、貴金属、ジュエリーと言われるものをお持ちでしょうか。それらは、手入れが悪いと、変色したり、色あせたりするそうです。今日の箇所には、そんな価値ある物の変質がたとえとして用いられています。何を教えているたとえなのでしょうか。そこから、私たちへのメッセージを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 再び「ああ」という嘆きから哀歌4章は始まっています。「ああ、なにゆえに、何としたことか」と酷く嘆いているのは、なぜなのでしょうか。すでに、エルサレムの滅亡、破壊について嘆いていたことは触れましたが、4章は、以前の神の民の栄光と栄光が去った今の民の惨状を比較しています。どんなことに例えて、比較していますか。
・1〜2節/
・イザヤ43:4前半/(参考)

2 純金のような存在だった神の民が、今や色あせ、輝きを失い、価値のない土の器になったと言っています。人が、かつては仕事もよくできて、人から評価され、輝いていたが、今は何もかもうまく行かず、失敗し、批判や嘲りを受け、貧しくなり、人生は色あせたとしたら、どんな心情になるでしょうか。思うところをあげてみてください。
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3 当時のこの地域の都市は、城壁を巡らした要塞都市でした。バビロン軍に取り囲まれたエルサレムは、2年間籠城を続けたので、食料は底をつき、人々は飢餓に苦しみました。エルサレム城内で、人々はどんな状態になりましたか。以前との比較で、どんなことが強調されていますか。
・4〜5節/
・ヨブ39:14〜16, エレミヤ39:1〜2/(参考)

4 籠城戦の飢餓は凄惨を極めます。やがて食べられるものをすべて食い尽くすと、信じがたいことまで起こります。そのことで、生きる希望も尊厳も失うようになります。私たちの人生にも、問題や事件によって、こんなことまでということが起こることもあるでしょう。どんな心の傷を受けましたか。尊厳がなくなるようなことがあるとしたら、どう受け止めますか。
・9〜10節/


5 エルサレムの惨状を見て、ああ、なにゆえに、こうなったのかと思います。エルサレムは、なぜ滅亡して、こうなったのですか。バビロンが攻めて来たからですか。籠城したからですか。エジプトが助けてくれなかったからですか。それとも何ですか。
・6節/
・エレミヤ11:8,32:23/

6 かつてエジプトで奴隷の境遇に苦しんでいた神の民を、主なる神は、どうしてくださいましたか。そのようにしてくださった時、神の民にどうするように求められましたか。主なる神は、神の民とどんな契約を結んでくださったのですか。
・エレミヤ11:1〜5/


7 主なる神は、その契約のゆえに、民を愛して、守り、繁栄を与えてくださいました。しかし、やがて民はその恵みを忘れ、自分の肉の思いに歩み、主に背を向けて偶像に仕え、裁きを受けました。その変化は、どのようなたとえで示されていますか。私たちも、はじめの愛を忘れ、自分の肉の思いで自分勝手に生きるようになってしまうことがありませんでしたか。その時、私たちの姿は、どう変化しましたか。
・7〜8節/
・黙示録2:3〜5/

8 籠城で荒れ廃れ、すっかり栄光が去ったエルサレムの惨状を述べている今日の箇所ですが、ここにも恵みがあります。民は何と繰り返し呼ばれていますか。悔い改めたエレミヤは、主について何と賛美し、主の取り扱いに何と告白していましたか。
・3,6,10節/
・哀歌3:22.24/

9 民を愛する主は、彼らをご自分の娘だと言われるのです。本当に見捨てられて、裁かれるなら、そんな言い方はしません。このような状態になってもなお、見捨てておられないのです。以前の民を「高価であり、純金で値踏みされるシオンの子ら」「容姿はサファイアのようであった」と言われます。金や宝石は、汚れ、色あせたとしても、手入れをすれば、どうなりますか。それは、私たちも悔い改めれば、どうなるということを意味していますか。
・Uコリント4:7, Tコリント6:20/

「命の実を刈り取ろう」

 純金は純金、宝石は宝石です。色あせ、汚れても、中味は変わりません。主に立ち返り、御言葉に聞き従う信仰の民となれば、再び色鮮やかとなり、輝き出すのです。私たちも、そうではないですか。イエス様の十字架という尊い犠牲によって救われた私たちも、純金やサファイアのような価値ある者です。信仰に生きてこそ主の栄光を現し、御言葉に聞き従って生きてこそ輝きます。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。

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