小グループで聖書を学ぶ
2 主に栄光を帰して (エペソ1:15〜19)

「心の門を開いて」

 私たちは、イエス様によって救われた感激で十分だと考えます。しかし、救いを受けたことで終わりではありません。救われた私たちは、神様のものとなり、神の子という新しい身分が与えられました。大変な変化ですから、生き方も変わるようにと執り成し祈っています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 使徒パウロは、ローマの獄中でこの手紙を書いています。どこよりも長くエペソ教会で働き、ツラノ書院で情熱を込めて御言葉を教えました。エペソ教会は、パウロがいない困難の中でもよく信仰を守り通し、愛で一つとなりました。遠いローマの獄中でそれを聞いたパウロは、どんな祈りをしていますか。
・15〜16節/


2 パウロは、聖徒たちの信仰と愛に感謝の祈りをしています。パウロは、人と接する際に人々の肯定的な面を取り上げているようです。ところが、世では、他の人の否定的な面や欠点や弱点を見つけて指摘するのが得意な人々がいます。私たち自身も、否定的なことに心が奪われ、しばらくそのことばかり考え、話してしまうことがあるでしょう。パウロは、聖徒たちの信仰と愛への感謝を祈ることによって、どんなことを願っていたと思われますか。



3 信仰は救われるだけでなく、主のものとして神の子らしく変えられて行きます。私たちは、信仰の成熟過程にいます。信仰が成熟して行けば行くほど、人の中にある肯定的なものを見るようになります。この肯定的な面や良い点を強調した祈りは、エペソの聖徒たちが、ますます信仰に立って、互いに愛し、仕え合い、熱心に奉仕することを願う祈りです。それによって、より信頼と愛の生活を熱心にして行く励ましとなったでしょう。私たちにも、このような見方と祈りが必要です。そのために何が必要だと祈っていますか。
・17節/


4 「神を知る」とは、知識があるということでなく、神を心に受け入れ、神との人格的な交わりを持つことです。知恵と啓示の御霊が臨んで、聖徒たちが御言葉を悟るようにしてくださり、神様を深く知るようにと祈っています。御霊が臨んで私たちが神を知るためには、どうすることが必要ですか。
・ローマ8:11/
・ヨハネ14:6/

5 私たちが神を知るならば、それはとても素晴らしい経験をするようになります。ただ御言葉で聞いて、頭で考えていた神様を自分の心と生活の中で実際に悟る時、恵みと喜びが溢れて来ます。自然に賛美するようになり、礼拝するようになります。その知識と悟りが私たちを造り変えて行きます。どのようになるからですか。
・18節/


6 神を知るならば、私たちの神様が愛と恵みに満ちた、全知全能の栄光の神であることが分かります。パウロは、栄光の神が聖徒に与えてくださる栄光を知るようにと祈っています。栄光についての引用箇所を読んで、私たちの栄光について考えてみましょう。
・イザヤ43:7/
・ローマ8:18 /

7 人は、神の栄光に参加するように創造された存在であるにもかかわらず、罪を犯したので、神の栄光に入る資格を喪失してしまいました。しかし、私たちが神の栄光(栄誉)を喪失して滅びることがないようにと神様がしてくださったことは何ですか。
・ローマ3:23〜24/
・ローマ8:30/

8 救われたすべてのクリスチャンは、神が最初に人を創造する際に持っておられた計画のように、神の栄光に参加するように召されました。私たちは、この恵みに応えてどうするように望まれていますか。そうすることを何と言いますか。
・Tコリント6:20,10:31,/
・Uコリント1:20/

9 私たちは、様々な方法で自分の栄光を求めて生きています。私たちが自分の知恵と力で努力をして神の働きを達成すると、私たちは神に帰するべき栄光を奪って自分自身を誇ろうとします。神に栄光を帰することをしないとどうなる危険がありますか。
・ヨハネ8:54/
・エレミヤ13:16/

「命の実を刈り取ろう」

 栄光を求めることが悪いことではありません。しかし、人からの栄光を求める心がどれだけ致命的なものとなることでしょうか。自分の栄光を求めて、神の栄光を奪おうとすることが、人の罪の根源だからです。私たちは、しばしば神に栄光を帰さない者であることを発見します。ですから、私たちは切実に十字架を握って神様に栄光を帰することが必要です。この世は、私たちが栄光を受ける場所ではなく、私たちが徹底的に神にのみ栄光を返しささげるところです。私たちは、人々から受けるわずかでいいかげんな賞賛よりも、神様から与えられる永遠の栄光を慕い求めたいのです。きょうの学びを通して気付かされたこと決意したことなど分かち合いましょう。ヨハネ3:30。    (エペソ1:15〜19)

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