小グループで聖書を学ぶ
4 キリストの体なる教会 (エペソ1:20〜23)

「心の門を開いて」

 教会って何でしょうか。建物という答えはないでしょう。でも、単に礼拝する所というだけでもありません。今日の箇所から、教会とは何か、どんな所なのかということを考えてみましょう。私たちは、教会の偉大さ、凄さを分かっていないかもしれません。

「御言葉の種を蒔こう」

1 教会の原語「エクレシア」とは、「召されて集められた人々」という意味です。教会は、何に基づいてたてられていると言っていますか。
・20節/
・マタイ16:15〜18, エペソ5:25/

2 教会は、「あなたは、生ける神の御子キリストです」という信仰告白の上に建てられました。教会エクレシアは、イエス・キリストは神の御子であり、私の救い主だと告白している人々の集まりです。神様は、その全能の力でもって、十字架で死なれたイエス・キリストを死者の中からよみがえらせてくださいましたが、これは、私たちにとってどういうことを意味していますか。
・Tコリント15:20〜21/
・ピリピ3:20〜21/

3 どこにいくか分からない命ではなくて、イエス様を信じて救われた者の国籍は天国となり、復活の命が与えられているという恵みは、何と感謝なことでしょう。エペソは、享楽的な繁栄の中で、アルテミス女神崇拝の中心地として迷信や魔術が盛んでした。このような凄まじい環境の中にあったエペソ教会であっても、素晴らしい救いにあずかっていたので、迫害や紛争に耐え、希望をもって生きました。教会は、イエス様の犠牲の上に建てられました。それを忘れないために、私たちは何をするように命じられていますか。
・ルカ22:19/


4 私たちは、教会を建てられた主の御心をなすために召されたということを忘れないで、主の栄光をあらわして生きなければなりません。そのために、教会はどれほどの存在であるか、この地にあることの意義は何かについて教えています。どういう内容ですか。
・21〜22節/


5 教会は、神の統治をこの地に実現する機関です。万物を統治され、歴史を支配されるイエス様が、この地を救うために、救いの計画をなすためのツールとして教会をたてられました。どんなに数が少なくても、力のない弱い者が集まったところでも、そこにかしらとなったイエス様がともにいてくださるところが教会です。このようなイエス様が私たちの教会のかしらだと知って、何を思いますか。(参考/エペソ5:25, マタイ18:20)



6 教会とは何かを教えるために、教会を何に譬えていますか。そういう譬えから、教会とはどんな存在だということが分かりますか。
・23節/
・Tコリント12:27/

7 教会がキリストの体という時、そこに召し集められた1人1人は、その体の1つ1つの器官ということになります。私たち1人1人は、教会をなしている1つ1つの器官であり、1人1人がキリストの体なる教会を担っています。他の器官との関係はどうなりますか。どういうことを考えて、大切にしなければなりませんか。
・Tコリント12:25〜26/


8 人の体の各部分は、他の器官のために、そして体全体のために機能しています。同様に、私たち1人1人も、主のからだとされた教会のため、他の兄弟姉妹のために大切な存在なのだとを知るようになります。その体のかしらがイエス様だということは、どんなことを考え、心に抱きながら生きることが必要ですか。



9 教会は、キリストのからだとして統一性を持っています。そのすべての活動は、イエス様中心に動きます。教会で何かを決定し、働きを進めるとき、イエス様の心で判断して、実行する必要があります。イエス様の心でなく、自己中心の思いで考え動くならば、健康な教会とはなれません。簡単に言うなら、イエス様ならこのような状況でどうされるだろう、という問いかけを自分自身にしながら、自分の生活、教会の歩みをしていくのです。あなたは、どうされていますか。失敗した例、恵みを受けた例をあげてみてください。


「命の実を刈り取ろう」

 今共に礼拝をささげている私たちは、あきる台BCというキリストの体の各器官です。体は、各器官によって成り立っています。私たちはみな、自分がキリストの体である教会の1つ1つの器官であることに誇りを持って生活しましょう。なによりも、教会はキリストの体という時、イエス様が教会を愛し、教会のためにご自分を十字架にささげられたということに基づいています。私たちの教会が、イエス様によって組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられて行くことを願います。今日の学びで発見したこと心に決意したことなど分かち合いましょう。エペソ4:16。
(エペソ1:20〜23)

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