小グループで聖書を学ぶ

2 讃美するほかない (エペソ1:3〜6)

「心の門を開いて」

 世の幸福と言えば、古典の書経にある五福のようなもの、すなわち寿命が長い、財力の豊かさ、無病息災、徳を好むこと、天命を全うすることですが、はたして、それらによって幸いを得られたのでしょうか。なんと、私たちには、賛美するほかない祝福、つまり神様が与えてくださる幸いがあります。

「御言葉の種を蒔こう」

1 幸福が、長寿、財力、無病息災というならば、私たちは、幸いになれないでしょう。でも、イエス様を信じる人は、どんな幸いがあると教えていますか。
・3節/



2 もしクリスチャンが神の前に受ける祝福を考えないで、世が言っている幸せを祝福だと間違って理解しているとしたら、イエス様を信じる人々に感謝や喜びがなくなってしまうでしょう。イエス様を信じる人は、どんな事情や状況にあっても、「天にあるすべての霊的祝福」を受けているから幸いなのです。たとえば、どんな霊的祝福にあずかっていると言えますか。
・ローマ8:31〜33/
・Uコリント4:6〜7/



3 私たちの受けた霊的祝福とは、根源的にはどのようにあらわされていますか。ここで言われている救いの恵みについて、2つの特徴的な表現は何ですか。
・4〜5節/


4 選びと予定と言っても、誰が救いに選ばれて、選ばれていないということは言っていません。「創造の前から」という表現は、何も存在しなかった時に、私たちの行為や背景が介入しない所で、一方的な神の意志によってなされた恵みが強調されています。選びと予定は、救いの確信を与えるためのものです。すでにあなたは選ばれた民だから、世で心配せずに生きなさいということです。救いの選びを信じて、証しに努めるのです。この神様の選びと予定の救い知ってどう思いましたか。



5 「聖く、傷のない者」とは、神様が選んだ人に与えられた祝福です。それは、イエス様を信じて救われた者たちが、救われたに留まらず、聖く、傷のない神様の民として造り変えられるということです。私たちには、罪や汚れがあり、心の痛みや人生の傷があります。私たちも、イエス様に救われたなら、それらが癒され、聖められ、新しい人に造り変えられたのです。あなたは、どんな癒しや造り変えを覚えていますか。



6 「神様の子ども」という言葉に実感がないでしょうか、当時の最も驚くべき幸福は、王や貴族の養子となることでした。貴族や金持ちの家に子がない時、親戚や家のしもべから跡取りを選びました。そして、その養子は、養父の地位と財産を受け継ぎました。何と、私たちは、王侯貴族の子どころか、神様の子どもにされたのです。私たちは、どうして神様の子どもとされるのですか。神様は、ご自分の子どもに何と言われますか。
・ヨハネ1:12/
・マタイ3:16〜17/

7 紀元70年に国を奪われ、国から追放されたユダヤ人が、2千年間落胆することなく、絶望することなく、失われなかった理由は、神様に選ばれているという思いでした。まさにイエス様を信じて救われた私たちは、神に選ばれ、愛された子です。世で財も地位もなくても、堂々としていることができます。人に認められなくても、心満たされて生きることができます。あなたは誰ですか。イエス様の血潮で罪を洗い流されて神の子とされた者という自尊心を持っていますか。神に選ばれた者、神の子とされた者だというアイデンティーがありますか。



8 私たちは、生まれる前に救いに選ばれて、生まれて来たという祝福を受けています。これを知った私たちは、どうするよりほかにありませんか。
・6節/


9 今牢獄に閉じ込められているパウロも、手紙を書きながら讃美しています。霊的な祝福を受けたからです。私たちの心を神様の霊的祝福と救いの選びと予定に向けるならば、どれほど救われた自分が恵まれた存在であり、どんなに尊い者であるか分かるようになります。あなたは、イエス様を信じて救われたことで与えられる栄光の恵み、祝福を思って、生活の中で感謝や讃美をしていまか。そうでないとしたら、理由は何ですか。


「命の実を刈り取ろう」

 教会は、幸福を得るために礼拝をささげる場所ではなく、すでに祝福が下され、溢れるところです。救い主イエス様の中にある幸せを知って、祝福を所有している人が、感謝して礼拝し、賛美するところです。神様は、私を救いに選び、予定されていたという祝福を知って、救いの恵みに感謝して、人生を通して神の栄光をあらわし、賛美があふれますように願います。今日の学びを通して気付かされたこと、決心したことを分かち合いましょう。ヨハネ15:16。

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