小グループで聖書を学ぶ

3 代価を払って買い取られた者 (エペソ1:7〜14)

「心の門を開いて」

 エペソの聖徒たちは、この手紙を読みながら、驚くべき体験をしていました。彼らのほとんどは、一日中必死に働いていた奴隷や使用人でした。彼らは、疲れた体をもって教会に来て、この手紙の朗読を聞きながら、この手紙の中に引き込まれて行きました。それは、その扱う内容が、彼ら自身のことだったからです。あたかもドラマの主人公になったかのようになりました。私たちも、そのようにして読んでみましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 古代社会において、奴隷は主人の所有物でした。彼らは、家畜のように奴隷市場で売られました。主人の意思が自分の意志で、主人の命令が自分の義務でした。何でも主人の意に従うことが、彼の人生でした。奴隷が主人から自由を得るためには、誰かが自分の身代金を代わりに支払ってくれなければなりませんでした。同じように、罪の奴隷、サタンの囚われの身となっている者が、罪と死から自由になるには、どのような身代金が払われたと教えていますか。
・7節/


2 「贖い」という言葉は、本来「代価を払って買い取る」とか「再び買って自由を与える」という意味を持っています。この言葉は、当時の奴隷市場で使用されていた単語でした。その血とは、神様の御子イエス・キリストの血、すなわちイエス様の十字架による死です。どうして、人の罪の代価として神様の御子の血が流されなければならなかったのでしょうか。
・ローマ6:23/
・エペソ2:1〜5/

3 奴隷や使用人であったエペソの聖徒たちは、自分のために、神の御子が身代金を払って、罪の奴隷、サタンの囚われから解放してくれたというメッセージは、彼らには、もう痛いほど分かりました。罪と死の奴隷から解放されたと歓喜にあふれながらも、その代償が神の御子の血、イエス様の十字架の死と知って、慟哭しながら、感謝にむせびながら、どのように生きようと決意したでしょうか。
・Tコリント6:20/


4 ギリシャ文化のエペソでは、ギリシャ哲学が幅を利かせていたでしょう。 でも、無学で知恵もなかった彼らは、ただ救いを求め、その苦しい、空しい生き方から解放されることを望んでいました。そういう彼らが福音を悟ることができたのは、なぜですか。
・8〜9節/


5 奥義とはミステリーということですが、隠蔽されている秘密というわけではありません。すべての人に公開されていながらも、神秘的な秘密の役割をしています。これは、どういう意味をもっているのですか。イエス様がたとえで話されたことについての説明を参照しましょう。
・マタイ13:11〜13/


6 救いのご計画をあらかじめ定めておられたとあります。福音を分かるようにしてくれたのも、イエス様に出会わせてくださったのも、神様が、予め定められた計画に沿って救いに導いてくださったと知って、どう思いますか。
・11節/


7 救いの恵みを受けても、時には確信が揺らいで、疑いや不安が生じることがあるでしょう。かといって信仰は努力の産物でも、修行を積むものでもありません。ですから、間違いなく福音を聞いて信じて救われたことが確信できるように、どのような保証をくださったのですか。
・12〜14節/


8 保証という言葉は、契約金という意味です。契約を履行するための頭金のようなものです。御国を受け継ぐとは、聖徒たちが後の世とこの地で享受する祝福をいうことができます。イエス様を信じて救われた者に聖霊が与えられるのですが、聖霊はどのようなお方ですか。どのように働かれるのですか。
・ヨハネ14:16〜17/


9 証印というのは、当時の社会では、家畜や奴隷に熱した鉄の印を押すことで、主人の所有物であることを示していました。すなわち、「聖霊の証印」というのは、聖徒はまさに「神の所有物」になったことを、聖霊が確認くださるという意味のことです。この証印について、使徒パウロは、どのような証しをしていますか。
・ガラテヤ6:17/

「命の実を刈り取ろう」

 聖徒たちは、奴隷という境遇は変わらなくても、私の本当の所有者は神様だと喜びました。イエス様の十字架の血によって贖われた、御国を受け継ぐことの保証として聖霊が自分のうちに住んでいてくださることを感謝しました。こうして、信仰の恵みを享受できるように、三位一体の神は、文字通り完璧な共同作戦を展開しておられたのです。今日の学びを通して知ったこと決意したことは、何ですか。Tコリント6:19〜20。

戻る