小グループで聖書を学ぶ
11 膝を屈めて祈ります(エペソ3:14〜21)


「心の門を開いて」

 最近祈ることをしておられますか。何のために祈りましたか。どんな祈りをされましたか。今日の箇所で、パウロは、エペソ教会の聖徒たちのために祈っています。大変感動を与える祈りであり、私たちの心に刻み、私たちも祈りたい祈りです。どのような祈りなのでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 エペソ教会は、巡回伝道者のようなパウロが、3年半も留まり、心血を注ぐことによってその基礎が築かれた特別な教会でした。ツラノ講堂で2年間聖書を教え、弟子訓練も行われました。そのエペソの教会のことを思うと涙が出て来ます。信じて救われたに留まらず、信仰が成長して成熟してほしいと強く願ったパウロは、何をしていますか。その様子は、パウロのどんな思いをあらわしていると思いますか。
・14〜15節/


2 パウロの13通の手紙には、祈っている所が何箇所もありますが、膝を屈めて祈っているのは、ここだけです。膝を屈めて祈るという姿は、切実な祈りをあらわしています。パウロが膝を屈めながら切実に祈った祈りの内容が、三つあります。一つ目は、どんなことを祈っていますか。
・16節/


3 まず、信仰の内なる人がキリストの力で強められますようにと祈っています。人々は、外見を飾ることに関心を持ち、外側をよく見せるためにお金と労力を費やしています。運動して、健康食品を食べて老化を防ごうとしています。そのようなことについて、聖書はどのように教えていますか。
・Uコリント4:16/


4 どうすれば内なる人が強められるのでしょう。内なる人は、何によって強められると言っていますか。そのためにどうすることが必要ですか。
・16節/
・エペソ5:18/

5 次に、パウロは、「キリストが、心のうちに住んでいてくださいますように」と祈っています。「住む」という原語は、2つの意味があります。一時的にゲストとして留まることであり、もう一つは主人として住むという意味です。この場合は、どちらを意味していると思いますか。
・17節/
・ヨハネ14:16〜17/

6 イエス様は、私たちの人生の主人として来られました。しかし、聖徒たちの中には、イエス様を受け入れても、ゲストのように受け止めている人がいました。その人は、どのような生活原理となる危険がありますか。
・ローマ8:5〜8/


7 イエス様をゲストとして迎えた聖徒たちは、自分が助けを必要とする時にだけイエス様が来てくださることを求めます。イエス様を自分の心の片隅に置いて、心の中のイエス様とは関係なく、「私の主人は私」と生きてしまいます。「私の心はキリストの住い」(ロバート・B・マンガー著)本があります。この本は、キリストを信じた主人公が、自分の生活のさまざまな分野で、文字通りイエス様を主として受け入れていく過程を、内面的な葛藤とともに描いたものです。主人公は、心のドアを開けて、イエス・キリストを自分の心の中に招待し、心の住いを案内しています。自分の心をキリストの住いと譬えるなら、あなたは、イエス様をどのような所に、どんなふうに迎えていますか。
・黙示録3:20/


8 三番目の祈りは、「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように」という祈りですが、そのキリストの愛をどのように表現していますか。その四つの表現をどのようにイメージしますか。
・18〜19節/


9 愛の広さ。キリストはすべての人のために十字架にかかられました。ヨハネ3:16。人々から責められ、疎外されていた人々を愛してくださいました。愛の長さ。人の愛は変質しますが、主の愛は永遠の愛です。愛の高さ。私たちが愛さない人も愛し、私を裏切って侮辱する人をも愛する高い愛です。愛の深さ。イエス様は、私たちのために十字架に死んで、陰府にまでくだり、三日目によみがえられました。このようなイエス様の愛を知って、心に抱いて生きる人は、どのようにされると御言葉は約束していますか。
・ローマ8:35〜39/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様は十字架にかけられる前の晩、跪いて苦しみ祈られました。ルカ22:41〜44。十字架の犠牲で救われた私たちの内なる人が造り変えられ、イエス様を心の王座に迎え、イエス様中心に生きる者となるように、イエス様の愛を体験できるように、私たちも膝を屈めて切実に祈ります。きょうの学びで心に示されたこと、悔い改めたこと、決心したことなどを分かち合いましょう。                   

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