小グループで聖書を学ぶ                                      
14 古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着なさい(エペソ4:17〜24)

「心の門を開いて」

 心理学用語に固着状態というものがあります。過去の習慣を維持することで安定感を感じる現象です。固着状態に陥っている人は、変化を嫌い、恐れます。この手紙は、イエス様を信じて救われたエペソの聖徒たちへ書かれたものですが、霊的に成長しないなら、昔のままで生きてしまうと警告されています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 エペソ教会には、イエス様を信じて救われたにもかかわらず、昔の姿で生きていく人が多かったようです。新しく生まれ変って、霊的に造り変えられ、成長して行くはずなのに、昔のままの状態に陥っていた人々がいたのです。どんな様子ですか。
・17〜19節/


2 その姿は、「むなしい心で歩んで」いると言っています。むなしいとは、中身のない殻だけのことです。聖徒であるのに、人生の殻に相当するようなものを追及するばかりで、人生の中心にあるべきものがないむなしい人生を歩んでいるのです。御霊に満たされていないたましいは抜け殻のようです。救われた者の人生にとって、どんなことが中身であり、殻なのですか。
・ピリピ3:7〜9/


3 「知性において暗くなり」と言っていますが、知的でないというのではなく、何かを見るには見ているのですが、そのことが起こった意味が分からないというのです。「無知」というのは、御言葉を知らなければ、何が罪で何が罪でないかを判断することはできないということです。聖書を英語でカノンとも言います。カノンとは定規という意味です。御言葉の判断の基準がなければ、聖徒は、どのようになると思いますか。



4 「かたくなな心ゆえに神から離れる」という頑なとは、石灰石の意味です。心が石灰岩のように固まっているということです。心が固まっているなら、どんな姿になりますか。また、「無感覚」とは、罪の痛みを感じないということです。どこか具合が悪くなれば痛みを感じて、治療をすることができますが、罪の痛みを感じなくなったら、どんなことになる危険が考えられますか。



5 霊的に成長しないで、昔のままの状態で生きている人々がどんな姿なのか、リストを見て来ましたが、このようなものが自分にはないか、省みてみましょう。頑なな心となっていませんか。御言葉がいつでも判断基準になっていますか。
・ローマ8:4~6/


6 人の一生とは、習慣の産物です。習慣とは、最初は自分が習慣を作りますが、そのうち習慣が自分を作ります。初めはゲストのように近づくが、後には主人となってしまうのが、習慣です。良い信仰の習慣は、私たちをより幸せにして、人生を豊かにします。しかし、否定的な旧い習慣は、私たちの生活に悪影響を及ぼし、心を病気にさせます。あなたにとって、否定的な旧い習慣とは何ですか。あなたが必要とする信仰の習慣とは何ですか。
・Tコリント15:33〜34/


7 エペソには、イエス様を信じて救われたにもかかわらず、昔の姿で生きていく人々がいました。新しく生まれ変って、霊的に造り変えられ、成長して行くはずなのに、昔のままで、精神的固着状態に陥っていた人々がいました。そのために、どんな勧めがされていますか。たとえをもって強調されていることは、何ですか。
・22〜24節/
・コロサイ3:9〜10/


8 「古い人を脱ぎ捨てて、心の霊において新しくされ」なさいというのですが、霊的衣替えは、いつからできるようになるのですか。私たちが新しくなるのは、何によってなるのですか。
・Uコリント5:17/


9 「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された新しい人を身に着る」べきだというのですが、イエス様の十字架を信じて救われるということは、罪の支配から解放されて、創造された姿が回復されるということです。古い自分のままだったら、イエス様の十字架の苦しみに対して申し訳ないという思いになりませんか。自分自身に質問してみてください。自分の人生の目的は何だろうか。信仰生活するその目的は何だろうか。答えはどうですか。


「命の実を刈り取ろう」

 現代のクリスチャンの問題も、イエス様を信じて救われたのに、内なる人が新しくされないままでいるということです。十字架を信じるなら新しい人になると約束されているにもかかわらず、多くの聖徒たちが、以前の古い自分のままなのです。新しく成長することを知らないのか、霊的に造り変えられることを拒んでいるのです。きょうの学びを通して、あなたが気付かされたこと、決心に導かれたことは何ですか。Uコリント5:17。

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