小グループで聖書を学ぶ                                      
16 愛されている子どもらしく (エペソ5:1〜7)

「心の門を開いて」

 言葉が変わり、行動が変わり、人格が変わって行くクリスチャン人生ですが、なぜ変えられえて行くのでしょうか。その変わって行く理由、変わる原動力は何でしょうか。今日の箇所から学び、造り変えられる者となりたく願います。

「御言葉の種を蒔こう」

1 人々が悩む基礎的なことは、自分は誰なのかというアイデンティーです。イエス様の十字架を信じて救われた聖徒たちは、何と言われていますか。
・1節/
・ヨハネ1:12/

2 世の中において、多くの人々が、愛されていないことで問題が生じています。親の愛などを受けられないで、愛の欠乏で人格が歪められてしまうこともあります。その人の生活を変え、人生を変えて行くには、「私は、主に愛されている神の子どもだ」という確信が必要です。神の子どもとされたということを忘れていませんか。主に愛されている者だという誇りを持っていますか。



3 私たちは、「イエス様が十字架で私の罪の身代わりに死なれるほどに愛されている」という存在なのです。私たちは、自分を評価するのに、世の基準で評価すべきではありません。聖書の視点から自分の価値を認めるならば、私たちは、どのような人生を生きていくことができますか。
・イザヤ43:4/
・Uコリント4:7/

4 神に愛された子どもらしく生きるためには、どうしたらよいのでしょうか。それは可能なことなのでしょうか。そもそも、人は、どんな存在なのですか。
・1節/
・創世記1:27/

5 今日多くの人々が、愛の重要性を語っています。しかし、愛すると言いながら争い、文句を言い、別れています。愛の真の意味を知らないために、このような現象が起こっているのです。ここでは、愛の基準が教えられています。本当の愛の基準とは、何ですか。
・2節/
・ヨハネ13:34/

6 「イエス様があなたがたを愛したように」ということですが、どんな愛ですか。2節で表現されていることは、旧約時代の儀式のことですが、イエス様の愛の特色は、どういうことですか。それに比べて、人々の愛は、どうですか。どう思いますか。
・2節/
・ピリピ2:6〜8/

7 具体的な神に倣う者の生き方が、記されています。神に倣って生きる聖徒として、当然避けるべき姿が教えられています。何ですか。
・3,4,6節/


8 「愚かな言葉」ワーストスリーを聖書の中からあげてみましょう。1位は、アダムの言い訳です。禁じられていた善悪の木の実を食べたことを問われると、アダムは自分の過ちを認めずに、妻のせいにしました。神が私のそばに置かれたこの女がと言って神様のせいにしています。2位は、カナンを偵察した者たちの否定的な言葉です。彼らが見たカナンの地は、乳と蜜の流れる地、本当に豊かな地でしたが、彼らの伝えた否定的な言葉のために、民は、荒野を40年も巡ることになります。第3位は、イスラエルの民が,指導者や神様に言った不平や不満の言葉、呟きです。不従順になり、罪を犯しました。このような愚かな言葉について、私たちには関係ないのでしょうか。思い当たることはありますか。
・創世記3:11〜12/
・民数記13:31〜33/
・民数記11:1/

9 否定的な言葉や愚かな言葉を言わないようにするだけでなく、かえって積極的にどうすべきだと教えていますか。なぜ、そうすべきなのですか。
・4節/
・Tテサロニケ5:18/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様に救われた者は、神様の恵みの中で生きるようになります。感謝エウカリステアには、カリス恵みという言葉が含まれています。イエス様に救われた私たちは、救いをはじめ多くの恵みを神様からいただいています。私たちは、すべてのことで、神の恵みと愛を認め、感謝すべきです。厳しい現実といっても、神様を信じて頼る人は、感謝することができます。感謝しながら生きる人には、いつも感謝の材料が生じ、不満や恨みを持ちながら生きる人には、いつも不満や恨みの材料が生じるのです。愛と感謝で生きましょう。きょうの学びを通して気付かされたことは何ですか。どんな決意に導かれましたか。Tテサロニケ5:16〜18                               

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