小グループで聖書を学ぶ                                     

17 光の子どもらしく (エペソ5:8〜14)

「心の門を開いて」
 
 教会に通う人も教会に通っていない人も違いがないように見えますが、どうでしょうか。イエス様を信じたという人と真実に信仰に生きる人には違いはないのでしょうか。聖書は、信じて救われた人は、新しい命をいただいて、造り変えられて、「光の子どもらしく生きる」ようになると教えていますが、光の子どもは、どのようになるですか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 使徒パウロは、救われた聖徒の身分を過去と現在に分けて説明しています。過去には、どうだったのですか。現在はどのようになったというのですか。
・8節/


2 イエス様ご自身が、罪のやみに覆われた世を照らす救いの光として来られました。ですから、聖徒たちも光の子どもとされるのです。では、光の子どもとしてどのように生きなければならないのでしょうか。また、そうならないとどうなると言っていますか。
・9節/
・11〜12節/

3 人は、人生の実を結ぼうとして生きているでしょうか。太陽の光を受けることで植物が実を結ぶことができるように、真の光であるイエス・キリストによって、私たちは人生の実を結ぶことができます。イエス様が道端のイチジクの木に実がないのを見て、枯らしてしまう話は、人生において信仰の実を結ぶべきことを強調されたものです。それを読んで、思うことは、何ですか。
・マタイ21:19 /


4 光の良い実を結ぼうとするなら、価値観や生活習慣を変えなければならないでしょう。光の子どもらしく生きるには、どんなことを考えながら生きるようにと言っていますか。
・10節/


5 光の子どもは、どうしたら主に喜ばれるか考えながら生きなさいと言われていますが、神様が喜ばれることをいくつか見てみましょう。それぞれどんなことを神様は、求めて、喜んでくださるのですか。あなたはそれを考えながら生きていますか。
・ヨハネ4:23〜24/
・Tテサロニケ2:4/
・ヘブル11:5〜6/
・ヘブル13:16 /

6 光の子どもたちは、礼拝をささげ、福音を証しし、主とともに歩み、神を喜ばせながら生きて行きます。どうすれば神を喜ばせることができるかという心で私たちが生きていく時に、神様は喜んでくださいます。?本来、イエス様に救われた者の念願とするところは、どういうことにあるというのですか。
・Uコリント5:9/


7 イエス様の十字架の死という大変な犠牲でもって救われ、罪赦され、天国への命が与えられるというのは、筆舌に尽しがたい救いの素晴らしさです。光の子どもらしく造り変えられることがなければ、どうしている状態だと言っていますか。そこから、どうしてしなさいと命じていますか。
・14節/


8 眠っている者は、当然のことながら、イエス・キリストの光によって、目を覚まして、起きなければなりません。この箇所は、主の審判にも触れているところです。引用聖句では、何か強調されていますか。だから、どうすべきだと言われていますか。
・マルコ13:35〜37/
・ヨハネ12:36/

9 エペソの聖徒たちは、イエス様を信じて神に愛された子ども、光の子どもとなりました。ところが、いつまでも以前の肉の習慣を引きずり、罪の奴隷、サタンの囚われ人となっていた人々もいたのです。それで、何と勧めておられますか。
・ヨハネ12:35/


「命の実を刈り取ろう」

 光の子どもらしく生きる決心をしましょう。「眠っている人よ。目をさませ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる」と約束されています。光の子どもが光である主の光に気付かず眠っているなんて、何と不幸なことでしょうか。光がある間、主が私たちに光を当てておられる時はまだ、私たちにチャンスがある時です。眠っている所から立ち上がり、目を覚ましましょう。今イエス様が照らす人生を生きる時です。きょうの学びで気付いたこと、改めよう、変わろうと決心したことは、何ですか。ヨハネ12:35。

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