小グループで聖書を学ぶ

2 イエス様を信じるだけ(ガラテヤ1:6〜10)

「心の門を開いて」

 「悪魔は細部に宿る」ということわざがあります。些細な違いに本質的な違いが隠されているから気をつけろという意味です。イエス様の十字架を信じることで救われるという信仰が揺れ動かされることが起きます。その危険を、ガラテヤの聖徒たちの例から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 1世紀中頃宣教師パウロが小アジア南ガラテヤの地域に伝道し、多くの人々が救われ、その地域に教会ができて行きました。パウロは、彼らの心を強め、しっかり信仰に留まるように励まし、教会ごとに長老を選び、祈って彼らを主に委ねて、その地を去りました。しばらく経って聞こえて来たニュースは、どんなことですか。この手紙の本文の冒頭に記されているパウロの気持ちは、どうですか。
・使徒14:21〜23/
・6節/

2 イエス・キリストが私たちの罪と滅びの身代わりに十字架にかかってくださったことを信じるだけで救われる、というのが聖書の福音です。行いによるのではないと明言されています。しかし、ここでパウロが言っているほかの福音とは何ですか。
・エペソ2:8〜9/
・使徒15:1,5/

3 イエス様を信じるだけではなく、ユダヤ人のように割礼を受け、律法を守らなければ救われないという偽りの教えに、ガラテヤの聖徒たちはどうなりましたか。何が問題だったのですか。あなたは、ガラテヤの聖徒たちがなぜそのような影響を受けたと思いますか。
・7節/
・コロサイ2:20〜23/ (参考)

4 ガラテヤの聖徒たちを惑わし、動揺させたユダヤ人たちは、イエス様を信じてはいたのですが、律法も守らなければいけないということを付け加えました。聖徒たちは、それが自分たちの慣習にも合っており、些細な違いとして受けてしまいました。それに対して、パウロは何と言っていますか。どうして、こんなに厳しく批判しているのでしょう。その対象には誰が含まれていますか。
・8〜9節/


5 もし福音に反することを宣べ伝えるなら、パウロ自身でさえのろわれるべきだと言っています。このように厳しく警告しているのは、ユダヤ主義者の教えが本質とまったく違うものを福音と信じさせ、聖徒たちを救いから遠ざけてしまうからです。まさに、悪魔は細部に宿るのです。何か思い当たることはありませんか。



6 人は、何か修行や戒律を守る方が分かり易く、善行を積んだら救われるのではと勘違いしています。でも、聖書を学んで分かることは、どんなことですか。律法は、何を知らせるものですか。律法の役目は何ですか。
・ローマ3:20,23〜24/
・ローマ7:7,19〜20/

7 昔から今日まで様々な偽りの教えが発生しています。熱心さや霊的という衣をかぶって来るものがあり、学問的な装いをするものもあります。聖徒たちを惑わし、救いのない別な道へ誘います。その手法について、パウロはどのように言っていますか。
・10節/


8 律法を守ることで救われるというのは、ガラテヤ人の習慣や考えに合っていました。偽りの教えは、人に取り入ろうとし、人の歓心を買おうとしていたのです。一方、キリスト教は了見が狭い、あれもこれも信じるのが寛容だろうという批判もあります。聖書は、これについて何と教えていますか。あなたなら、そんな批判にどう答えますか。
・ヨハネ14:6/
・使徒4:12/

9 イエス・キリストの十字架による救いが福音の本質です。神様を喜ばせることが本質です。この本質を掴まえておけば、他のものは自由です。逆に本質を逃して、非本質的なものにこだわると自由を失ってしまいます。いったい私たちにとって、何が大切なのでしょうか。あなたは、それをしっかり持っているでしょうか。
・Tヨハネ5:12/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、たまたま世に生まれたのではなく、神様から命を与えられて世に生まれました。ですから、生きる目的があり、生かされる意味があります。でも、罪によってそれが分からなくなり、空しく生きるようになります。イエス様の十字架の福音を信じることによってそこから救い出され、罪の赦しと新しい命を与えられ、その命で生きて行く者とされるのです。この救いの本質をしっかりつかんで、信仰の生涯を生きて行くことを願います。学びを通して気付かされたことや導きを受けたことを分ち合い、互いのために祈りましょう。Uコリント5:17。

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