小グループで聖書を学ぶ                                   

5 交わりのしるしとして右手を(ガラテヤ2:6〜10)

「心の門を開いて」
 
 握手の起源や意味は、武器を持っていないことと相手に敵意のないことを示す行為であると言われています。今日の箇所にも、握手が登場しています。どんな意味で行われたのでしょうか。この握手を通して、今日の箇所が教えていることを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 6節の「おもだった人たち」とは誰ですか。社会でなら、パウロのような立場の人が、柱として重んじられている人々に引け目を感じて、何も言えず、退いてしまうというところです。パウロは、どうですか。柱として重んじられている3人は、パウロに対してどうですか。
・6,9節/
・Tサムエル16:7/ (参考)

2 互いに卑屈になったり、高慢になったりすることがありませんでした。パウロが、エルサレム教会の中心であった3人の使徒たちと会って、認められたこと、確認されたこととはどんなことですか。どんなことが認められましたか。
・7〜8節/


3 パウロにも、同じ福音を委ねられていることが認められました。パウロは、有力な3人に会う時、神は、人を分け隔てなさらないと信じていました。3人の使徒たちも、その権威を振りかざしたりすることはありませんでした。パウロの働きを認めました。なぜ、そのように互いに受け入れ合えたのですか。
・エペソ4:4〜6/


4 エルサレム会議が開かれるほど問題が生じ、混乱が起きていたのは、パウロとエルサレムの使徒たちとの働きの違いでした。どんなことの違いですか。
・7〜8節/


5 問題が生じ、混乱が起きていたのは、福音を受ける対象が違うため、その伝え方が違うためでした。ユダヤ人と異邦人とでは、まったく違う文化と習慣でした。違いにばかり目を囚われると、肉的な思いに翻弄されることになります。周りの人々と、その生い立ち環境の違い、経験や価値観の違いのために相容れず、軋轢が生じたり、敵対し争うことがなかったでしょうか。その解決のためにどうしましたか。分かち合ってみましょう。



6 違いを受け止めようとしても、時には受け止め難いことがあるでしょう。受け止めるということは、自分の価値観や感性を捨てろということではありません。一時期自分の感性や価値観を「脇に置いて」、受け止めてみましょう。異なる人々が福音で一つとなるコミュニティーが、まさに教会です。聖徒たちの違いと一致がどんなたとえで説明されていますか。
・Tコリント12:12~13/


7 パウロと、柱として重んじられている使徒たちが、その違いを受け止め、受け入れ合った時、何をしましたか。どんな気持ちのあらわれだと思いますか。
・9節/
・ピレモン1:6〜7/(参考)

8 10節には、実際の交わりの姿が記されています。異邦人教会とエルサレム教会が、どのような関係になりましたか。当時、エルサレムの聖徒たちは、何のためにどのような状態でしたか。そのために異邦人教会がエルサレム教会にした働きには、どんな意味がありましたか。
・10節/
・使徒11:27〜30, ローマ15:26〜27/

9 福音はエレサレムの聖徒たちから異邦人に広がって来ました。ユダヤ人の聖徒たちがいたから、異邦人の聖徒たちがいるということです。パウロは、エルサレムの聖徒たちを助ける働きは、異邦人の聖徒たちが受けている霊的負債を返しているに過ぎないと言っていました。それについて、私たちには、どんなことが勧められていますか。イエス様は、どんな姿を見せられたのですか。
・Tペテロ4:10/
・マルコ10:45/

「命の実を刈り取ろう」

 時代が変わっても、福音は一つです。異なる福音に揺さぶられないでください。イエス様の十字架の死と復活を通して明らかにされた福音があるだけです。イエス様の救い、福音がユダヤ人と異邦人の隔ての壁を崩しました。クリスチャンの交わりは、様々な人々でも福音で一つとなって、主にある交わり、コイノニアが与えられます。福音によって恵みを与えられ、互いに助け合い、励まし合い、仕え合うことは、聖徒たちの大切な交わりとなっていきます。今日の学びを通して与えられた気付きや適用を分ち合い、互いにために祈りましょう。Tコリント12:12〜13。

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