小グループで聖書を学ぶ
8 ああ、愚かなガラテヤ人(ガラテヤ3:1〜5)

「心の門を開いて」

 古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、問答法を用いて他の哲学者に対して、無知の知を自覚するよう促しました。このソクラテス・メソッドは、今日ロースクールの授業や精神療法、コーチングなどの分野で用いられています。パウロも、ガラテヤの聖徒たちに、5節の中で六つもの質問を投げかけて、考えさせています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロは、ガラテヤの人々にイエス様の十字架の福音を明確に伝えました。まるで彼らが十字架にかかられたイエス様の様子を目の前で見ているように描き出して伝えました。イエス様の十字架は、彼らの心に深く記憶され、信仰告白に導かれました。それなのに、ガラテヤの聖徒たちは変わってしまいました。パウロのショックはどうですか。どんな質問をしていますか。答えも考えてみてください。
・1節/
・ガラテヤ1:6〜7/

2 パウロは、ショックのあまり「ああ愚かなガラテヤ人」と呼びかけます。「愚か」と言っても、知性がないとか見下しているのではありません。その原語は、「考えがない」という意味です。なぜこんな言い方をしたと思いますか。



3 ユダヤ人の要求は、イエス様の十字架を信じるだけでなく、律法も守り割礼も受けてこそ、救いは完全になると主張したのです。それなら、主は何のために十字架にかかられたのですか。彼らは、このことにまったく気付いていない、考えていなかったのです。「惑わされた」という言葉は、原語では、魔法で人を騙すという意味です。ガラテヤ人は、騙されたのです。深く考えることなく、惑わされたのです。十字架の恵みをしっかり考えていないために惑わされたり、騙されたりするのですが、あなたは経験がありますか。
・ヤコブ1:6, エペソ5:6/
・ルカ21:8,ヘブル3:13/

4 問題を明確化させるために、ただ漠然とは質問せず、答えを選択させる質問があります。パウロの次の質問は、二者択一です。二択の質問に対して、聖徒たちは、どちらを選んだと思いますか。質問を通して、聖徒たちは何に気付くことになりますか。
・2節/
・Tコリント6:11,19〜20/

5 3節の質問は、ガラテヤの聖徒たちが聖霊の働きによってイエス様を信じるようになったのに、ユダヤ主義者に惑わされて、今や律法を守り、割礼を受けることで、自分たちが神の子であることを確認しようとしていることです。現代の聖徒たちも、この危険があります。イエス様を信じていても、世の価値観に流され、世のものに囚われたり、聖霊に導かれて救われながら、自分の行為で認められようとしたりすることはないですか。
・3節/


6 いつの間にか信仰が変質して行きます。世に飲み込まれ、肉の価値観に染まってしまうのです。そうしている人は、そんな自意識はありません。信仰生活をしていると思っています。質問されれば、考えるようになります。こうして信仰生活は軌道修正され、整えられるようになります。そのような質問を受けて考える環境はありますか。なければ、どうしようと思いますか。



7 3節の「肉によって完成されるというのですか」ということから、仮にそうであるならば、と次の質問をしています。仮にそうだとしたら、どうなるかと考えさせるタイプの質問です。仮に誰かが「こうしたい」と言って来たら、「そうしたらどうなるか」と質問し、考えさせるようなものです。どのようなことを考えさせていますか。そして、どんな答えを期待している質問ですか。
・4節/
・5節前半/

8 聖霊によって信仰に導かれ救われ、聖霊による力あるわざを経験して来た彼らは、「いいえ、無駄ではありません」と答えざるを得ません。パウロに質問されることによって確信したガラテヤの聖徒たちは、次の質問についてどのように答えることになりますか。
・5節/


9 私たちは、自分の決断で信じ、自分の知恵や力で信仰生活をしていると思うかもしれません。しかし、一つ一つのことに聖霊が働き導かれたので、私たちは御言葉を聞き、福音を信じるようになりました。救われた後も、どうすることが必要ですか。
・詩篇143:5,119:24/

「命の実を刈り取ろう」

 今日は質問がとても大切なことだと分かりました。私たちも、自分に質問してみましょう。よく考えてみましょう。自分一人でもセルテキストを用いておられる方もいます。質問されると、自分を省みる事ができ、霊的状態を知り、信仰生活を修正することができます。今日の学びを通して気付いたことや導きを受けたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。詩篇143:5。

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