小グループで聖書を学ぶ

11 信仰が現れる前と後(ガラテヤ3:23〜29)

「心の門を開いて」

 年度が変わると、新しい学びや仕事が始まります。学校や職場、制服や資格等の変化は、その人の環境が変わるだけでなく、その人自身をも変化させます。身分や制服に合う行動になります。信仰も、信じる前と信じた後では、大きな違いがあり、変化が生じます。今日の箇所から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 人々は、信仰によって救われるという福音が提示されるまで、律法によってどういう状態でしたか。律法は、それはやがてどうなるためのものですか。
・23節/


2 24節では、律法は私たちをキリストへ導く養育係であったと例えています。養育係とは、当時主人の子供を世話するしもべのことです。学校に連れて行くことをしても、学問を教えたりはしません。主人の子供が成年になると彼の養育係としての役目は終わります。この例えは、律法のどんな限界を示していますか。
・24節/
・エペソ2:8,使徒4:12/

3 律法は、神の民を教えますが、救いの福音であるイエス・キリストが来られるまでだけの役割を果たすにすぎません。人を救い、変えることはできません。救いを得るには、私たちの代わりに十字架で死んで復活されイエス・キリストを信じる信仰しかありません。信仰が現れた以上、律法の養育係としての役割はどうなりましたか。イエス様を信じる聖徒たちは、律法からどうなりましたか。
・25節/



4 そして、重要なことは、救われた後どう変わるかということです。まず、イエス様を信じた時、どのような変化が起こりますか。そうなるための条件は、何ですか。
・26節/
・ヨハネ1:12/

5 神の子供になるには、厳しい条件も、何の手段も労苦も必要ありません。ただ一つ、イエス・キリストを自分の救い主、私の神として受け入れるだけです。一生涯その身分は変わりません。次の変化は、何の変化ですか。着る、エンデュオーという言葉は、制服のイメージです。制服を着た経験を思い出して、そうする意味を考えてみてください。
・27節/
・ローマ13:14/

6 制服は、その人の身分や職業、所属や地位などを表わし、それにふさわしく振舞わせたのではなかったでしょうか。キリストを着ていると意識すれば、私たちの生活は自然にクリスチャン、キリストに属する者に相応しくなるのではないでしょうか。放蕩息子の例え話で、彼のお父さんが、戻って来た息子に最初にしてくれたことは何ですか。それを読んで思うところを分かち合ってください。
・ルカ15:11〜24/


7 勇気を出して父の家に帰ったなら、それまでの罪の中での虚しかった過去が終わり、父の息子の身分を瞬時に回復するようになりました。これが、イエス・キリストを信じて救われ、キリストを着る生活です。三つ目の変化は、どういうことですか。あなたの周りの人々との関係はどうですか。何か問題はないですか。
・28節/
・Tコリント12:12〜13/

8 問題や葛藤があれば、主に助けを求めてください。自分と相手の間に主が来てくださり、平和を与えてくださるようにしてください。まずイエス様を心に迎えた私たちが、和解の使徒になるのです。イエス様の犠牲で救われた私たちも、回復のために犠牲を払うことができます。四番目の変化は、どんな人になることですか。どういう意味ですか。アブラハムに約束された祝福も参照しましょう。
・29節/
・創世記12:1〜3/

9 イエス様の十字架の犠牲による福音を知って信じるようになり、神様の子どもの特権を知り、信仰により義とされ、イエス様の中で神様の子どもとして生きていくことがどれほどの恵みであるか、感激し、誇りに思い、栄光であるかを思います。変えられる約束に従って生きて行くと、私たちはどれほど変化するのですか。あなたは新しくなりましたか。
・Uコリント5:17/
・ガラテヤ6:15/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、信仰による祝福の約束によって、新しい人格で生きることができる者とされています。 主の力を求めると私たちに力が与えられ、私たちはみことばに従って生きることができます。 この時、私たちは自分も知らないうちに昔の人の姿が消えて、新しい人に変化していく自分の姿を発見することができるでしょう。学びを通して気付かされたことや適用を分ち合い、互いのために祈りましょう。Uコリント5:17。

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