小グループで聖書を学ぶ

9 祝福を受けるには(ガラテヤ3:6〜14)

「心の門を開いて」

 新年を迎えると、人々は福を求めます。人は誰でも、祝福を求めます。あちこち訪ね、捜し求めます。しかし、祝福は神様が与えてくださるものです。聖書の中に神様から祝福を受けた代表的な人がいます。その人がどのように祝福を受けたのかを学び、私たちも神様の祝福を受けましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロは、ユダヤ人に惑わされたガラテヤの聖徒たちのために、アブラハムを引き合いに出しました。なぜ、アブラハムを引用したのでしょうか。
・6〜7節/
・ヨハネ8:39、ローマ4:9〜10/

2 ガリラヤの聖徒たちを惑わしたユダヤ人は、自分たちの先祖であり、信仰の父であるアブラハムを誇りとしており、ガラテヤの聖徒たちに割礼と律法を守ることを要求しました。ところが、聖書は、アブラハムが割礼を受ける前に、信仰によって神に義と認められたと言っています。義と認められたアブラハムは、その信仰のゆえに神様からどんなことを受けましたか。
・8節/
・創世記12:1〜3/

3 アブラハムが神様に聞き従うならば、その従順のゆえに祝福を与えると約束されました。「彼を大いなる国民とし、その名を大いなるものとし、彼が祝福の源となる」と言うのですが、その時のアブラハムは、どんな状態でしたか。その約束と現実の隔たりに対して、アブラハムの反応はどうでしたか。神様は何と言ってくださいましたか。
・創世記15:2〜6/


4 祝福を約束された時、大いなる国民の元となる自分の跡取りすらいませんでした。自分の現状と神様の御言葉とはあまりにも大きな隔たりがあり、心配になりました。そんな時に神様は約束の言葉を与えてくださり、アブラハムは信じました。その忠実な信仰のゆえに、義と認められました。アブラハムの姿から、どんなことを感じましたか。



5 アブラハムの子孫が律法を与えられ、約束どおりカナンに入り、祝福を味わうようになりました。しかし、彼らは、偶像を拝み、神様に背を向けるようになりました。子孫イスラエルは、不従順の結果、どうなりましたか。
・10〜11節/
・申命記28:15/

6 呪いの下にある罪人の人生は悲しくて絶望的です。神を離れた人生には真の喜びはありません。アブラハムと共に祝福を受けるには,自分が罪の呪いの下にいる者であることを見て、救いを求めなければなりません。神様は、どうしてくださいましたか。
・13,9節/
・Tペテロ3:18/

7 イエス様が十字架にかかられて、人々の罪の呪いをその身に負ってくださったので、イエス様を信じた者は呪いから解放され、アブラハムとともに神の祝福を受ける者とされました。私たちは、生活の中で毎日のように神様の驚くべき祝福を受けることができる者です。どんな祝福を受けましたか。思い出して、分かち合ってください。



8 一人の跡取りさえいなかった時、アブラハムは、空の星のような子孫を約束された神の御言葉を信じて、その信仰によって義と認められ、祝福を受ける者となりました。これが、神の祝福を受ける原理です。イエス様の十字架を信じれば、祝福を受けます。これが、祝福を受ける道です。アブラハムへの祝福の特徴は何でしたか。
・14節/
・創世記12:3/

9 アブラハムへの祝福の特徴は、「アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶ」ということです。私たちは、イエス様の十字架を信じることによって救われ、祝福された者です。祝福された私たちを通して、他の人も祝福を受けることになります。重要なことは、私たちは、受けた祝福を味わいながら神の祝福を伝える通路になっているということです。私たちはどうすべきですか。あなたは、どうしますか。



「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架を信じることによって、罪の呪いから解放された私たちは祝福された者です。神の祝福を受けて、恵まれれば、あの人にも祝福を受けてほしい、この祝福を味わってほしいと願います。そのためにも、神の祝福をしっかり受けて、体験したいと願います。学びを通して与えられた気付きと決心を分ち合い、互いのために祈りましょう。申命記28:2。

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