小グループで聖書を学ぶ

13 愚かな逆戻り(ガラテヤ4:8〜11)

「心の門を開いて」

 大和の国の戦国武将筒井順昭は、2歳の跡取りを残して病死する前に木阿弥という僧を影武者としました。木阿弥の領主としての暮らしは、跡取りが成長したら突然終わり、元の僧侶木阿弥に戻りました。一度良くなったことが元に戻ることを「元の木阿弥」と言う故事成語となりました。今日の箇所には、元の木阿弥のように元の姿に逆戻りしてしまった聖徒たちの愚かな姿から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 逆戻りになっていることを知るには、かつての姿に言及しなければなりません。ガラテヤの聖徒たちがかつて神を知らなかった時の姿を思い出させています。福音を聞いて救われる以前の姿は、どんな姿ですか。
・8〜10節/


2 イエス様を知る以前のガラテヤの聖徒たちは、偶像崇拝と諸々の慣わしや因習に囚われていました。神ではないものの奴隷でした。私たちのかつて神を知らなかった時の姿は、どうでしょう。あなたは、どんなものを神のようにしていましたか。どんなものに心が囚われて生きていましたか。どんなものをよいものと思い追求していましたか。
・Tサムエル8:3, Tテモテ6:10/(参考)
・イザヤ5:11,箴言12:11/(参考)

3 私たちには、パウロのように誤った道に進んだことがありましたか。どう生きてよいか分からず、むなしく、辛かったでしょうか。頑張って倦み疲れ、燃え尽きたでしょうか。そのような姿であったガラテヤの人々は、パウロから十字架による福音を聞き、イエス様を信じるようになり、新しい人となりました。その信仰の特徴を何と言っていますか。それは、どのような意味ですか。
・9節前半/
・詩篇139:1〜4,ヨハネ15:16 /

4 ガラテヤの聖徒たちが、イエス様の十字架を通して偶像の奴隷から解放されて、神の子とされました。しかし、そんな素晴らしい救いの体験をしながら、救われる以前の姿になってしまったのです。その愚かな姿の特徴は何ですか。ことわざも参照しましょう。
・9節/
・Uペテロ2:22/

5 多くの人が自覚のないまま、元の状態に戻ってしまいます。私たちは、どんな逆戻りをしたことがあったでしょうか。以前の罪の習慣、昔の肉の思い、かつての自己中心へ戻ってしまったことはなかったでしょうか。



6 苦しい空しい状態から救い出されたのに、またそこに戻るわけがないでしょうと人は思います。せっかく解放されたのに、好き好んで奴隷に戻りたい人がいるのでしょうか。なぜ、人は以前の愚かな状態に戻ってしまうと思いますか。
・箴言26:11 /(参考)
・エペソ5:17/(参考)

7 人には、ことわざのように元の良くない状態に戻ろうとする習性があります。私たちにも、かつての罪の奴隷に、肉の思いに戻ろうとする傾向が残っています。ですから、御言葉には、どんな警告がされていますか。
・Uペテロ2:20〜21/
・ヘブル6:5〜6/

8 元に戻らないためには、肉の思いがどれほど醜悪で恐ろしいものか悟ることが必要です。イエス様を信じた後、自分の肉の思いや自己中心へ戻ってしまうなら、こんなに残念な姿はありません。パウロは、ガラテヤの聖徒たちに対してどんなことを言っていますか。それは、パウロのどんな思いが表されているのでしょうか。
・11節/


9 ガラテヤの聖徒たちが本当に元に戻って、福音から離れるようなことになったら、パウロはどれほど心痛むことでしょうか。自分の労苦がむだになるというようなことよりも、ガラテヤの聖徒たちのことを思って心が痛むのです。私たちも、誰かのために労苦することがあります。その人が元の罪と世の原理に支配されることに戻るとしたら、どんな思いになりますか。そのままでよいのでしょうか。どうしようと思いますか。


「命の実を刈り取ろう」

 もし私たち自身が元の救われる以前の状態に戻るとしたら、私のために犠牲となられた主がどれほど悲しまれるでしょうか。私たちのために労苦してくれた信仰の友がどれほど痛み、残念に思うでしょうか。御言葉や祈りを通して、私たちの姿に気付くことを願います。私たちの中に再び過去に戻ろうとする思いが起きそうになったら、神の子とされている救いの恵みと祝福を思い出し、御前に立ち返ります。今日の学びを通して気付かされたことや生活の現場への適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ガラテヤ5:1。

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