小グループで聖書を学ぶ
18 御霊によって歩みなさい(ガラテヤ5:16〜26)

「心の門を開いて」

 イエス様を信じて救われた者は、霊的に成長し、造り変えられ、聖化すると学びましたが、変化しない自分を否定したり、悩んだりする人がいます。成長するには時間もかかると諦めたり、霊的成熟を願わない人もいます。聖徒の聖化、霊的成長は約束されています。今日の箇所を通して、そのためには秘訣を学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今日の箇所では、どんなことが繰り返し勧められていますか。それは、イエス様を信じて救われた者は、どういう者であるからですか。あなたは、自分がそういう者であることの自覚がありましたか。
・16節前半,18,25節/
・ヨハネ14:16〜17/

2 クリスチャンになったということは、御霊とともに人生を生きる者になったということです。大きな変化です。しかし、御霊によって歩みさいと命じているのには、理由があります。どういうことになる危険があるのですか。イエス様を信じた後に私たちの内にどんな問題が起こると指摘されていますか。
・16節後半、17節/
・ローマ8:5〜7/

3 イエス様を信じた後、かつては何も感じないことで葛藤を覚えたり、躊躇したりするようになります。私たちの内に住んでおられる御霊が、それでいいのですかと問われるからです。また、聖霊の望みが心に生じても、肉の思いがそんなことしなくていい、みんなもしていると言って、聞かないようにさせます。そんな声が聞こえませんか。二つの望みが対立して、葛藤することがありませんか。分かち合ってみましょう。



4 この二つの望みが対立すると、なにもできなくなります。この二つの望みの両方を叶えることはできません。どうすれば、二つの望みの間での葛藤から解放されますか。それは、なぜですか。
・18節/
・ローマ8: 2,9~10 /

5 この二つの望み、願いのどちらに従うかによって、その人の人格と人生が違って来ます。肉の望みに従う者は、肉の欲の望むままに生きようとします。肉の業を行うことになります。それは、どんなことですか。列挙されているものを、短く説明してみましょう。気になっている項目がありますか。
・エペソ2:3/
・19~21節前半/

6 「肉の欲望」のまま行動すれば、このリストの行動をいくらでもしていまいます。これらは、元々ガラテヤの聖徒たちの中にあったことであり、肉の望むまま行動していた人々がいたのでしょう。そうしていたら、どうなると警告していますか。どうすれば、肉の業を行うことから引き離されますか。
・21節後半/
・24節/

7 イエス様を信じた者は、肉の欲を十字架に付けたことになります。ですから、肉の望むまま生きることはできません。御霊に従って行動し、御霊に導かれて生きていくなら、その人の姿が明らかに違って来ます。どのようになると教えていますか。9個の項目について短く説明してみましょう。日頃自分に必要だと思うものは何ですか。
・22〜23節/


8 御霊によって生きて行くことで変えられて行く姿が、植物の実に例えられています。木に実のイメージであれば、木がきちんと根付いていて栄養分を供給されれば、実は自然に結ばれます。このことから、御霊の実においては、どのように言えますか。御霊の実は私たちの努力によるものですか。違うのであれば、何の働きによって結ばれるのですか。
・16,18節/
・Uコリント3:18/

9 御霊の実も、人為的な実りではなく、御霊の働きによります。ですから、私たちが御霊の実を結ぶためには、御霊に従うことが必要です。御霊に導かれて生きるのです。この9個の御霊の実は、原文では単数形で、全体で一つの実です。このことは、御霊の実がどのように結ぶのか示しています。御霊の実は、生来の性質のように、多いか少ないか、有るか無いかなのですか。私たちは、どのように御霊の実を結ぶことができるのですか。
・エペソ4:13〜15/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちが御霊によって歩むならば、9個の特質が一つの実のようにみな結ばれることになります。そんなことは難しいと思いますか。実を結ぶには、花が咲いて、小さな実のもとが作られ、それが成長して実を結びます。ですから、私たちの御霊の実は、今は小さく見えないようであっても、御霊によって歩むなら、必ず成長して実を結ぶのです。その御霊の実で人を愛し、人に仕え、霊的に成長し、御霊の人になり、教会を建て上げる人になることを願います。学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ガラテヤ5:25。                       

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