小グループで聖書を学ぶ
17 愛で仕えるための自由(ガラテヤ5:2〜15)


「心の門を開いて」
 
 イエス様を救い主と信じた者たちに自由が与えられたことについて学びましたが、自由が与えられた目的は何でしょう。与えられた自由をどのように使うのでしょうか。自由を守る方法は何でしょうか。そういう質問が出て来るでしょう。今日の箇所から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ガラテヤの聖徒たちは、パウロから福音を聞いて、救われ、自由を得たはずなのに、その後やって来たユダヤ人から、イエス様を信じるだけでなく、律法を守り、割礼も受けなければならないと教えられ、再び自由を失ってしまいました。言われるままに割礼を受けるならば、どういうことになると警告していますか。
・2〜5節/
・7〜10節/

2 ガラテヤの聖徒たちは、ユダヤ人に認められ、非難されないようにと、律法を守り、割礼を受けようとして、自由を失ってしまいました。私たちの中に認められたいという願望、人々に非難を受けることに対する恐れがあります。それに対して、パウロはどう言っていますか。
・11節/


3 イエス様が世に来られ、十字架にかかって血を流されたことで、割礼を受ける必要はなくなりました。割礼を受けるということは、イエス様の働きを否定する結果をもたらします。割礼、割礼と騒いでいる人たちに対して、何が大事だと言っていますか。
・6節/
・ローマ2:29/

4 イエス様が、私たちの罪と滅びの身代わりとなって、十字架につけられました。それによって私たちは罪赦され、裁きから解放されました。ここに神の愛があります。 私たちは神を知り、神を愛し、神の言葉に従い、生きるのです。パウロは、ここで人が何のために救われたのか、それによって与えられたものをどのように用いるのか教えています。13節の内容を解説してみましょう。
・Tヨハネ4:9 〜10/
・13節/

5 多くの人々が、自由を勘違いしています。人が自由と言えば、何の束縛も干渉も受けない状態と考えます。 やりたいことをして生きることを、自由な人生だと思うのです。自由と放蕩を混同しています。そのことについて、何と注意していますか。
・13節後半/
・15節/

6 自由を制御できないと、自由はむしろかみつき合うようにさせます。互いに肉を働かすなら、互いにかみつき合い、食い合う泥沼に陥ります。お互いの間で滅ぼされてしまいます。私たちも、自由を与えられています。しかし、自由を肉の働く機会にしていないか、私たちも顧みてみましょう。
・Tコリント3:3/(参考)
・Tテモテ6:4〜5/(参考)

7 自由を肉の働く機会としてしまい、互いに争うのでなく、どうするように勧めていますか。それは、イエス様が救われた弟子たちに律法全体をまとめて教えてくださったことです。その意味を考えてみましょう。私たちにできることですか。それはどこから出て来るものですか。
・14節, マタイ7:12/
・Tヨハネ4:11/

8 イエス様を信じて与えられた自由を豊かに味わう方法があります。自由を正しく使うことです。自由を肉の働く機会としないで、どうするように言っていますか。それが、自由を用いることだと思いますか。どのように思っておこなっていますか。
・13節/
・Tペテロ4:10 /

9 自由を正しく有効に用いることは、隣人に仕えること、自らしもべになることです。これが、霊的な自由の姿です。イエス様は、弟子たちに対して互いに仕え合うことを教えられました。どんな場面ですか。そこから教えられ、感じたことを分かち合ってみましょう。
・ヨハネ13:14〜15/
・マルコ10:43〜45/

「命の実を刈り取ろう」

 自由を守る方法は、自由を積極的に使用することです。聖書は逆説的な方法を提案していましたが、自由は、隣人を愛して、仕えることから始まります。他人の存在を尊重し、他人に仕えることが自分の自由を保証する方法です。自分だけ仕えるのではありません。ここには「互いに仕え合いなさい」と勧めています。教会共同体において、各人が自由を享受する秘訣は、互いに仕え合うことにあります。今日の学びを通して示されたことや気付かされたことなどを分ち合い、互いのために祈りましょう。マルコ10:45。

戻る