小グループで聖書を学ぶ
21 十字架以外を誇りとしない(ガラテヤ6:11〜16)

「心の門を開いて」

 人には、誇り、プライドというものがあり、自分の才能や業績に自信を持ち、評価を求めたり、それで品位を保ったりします。誇りには功罪があり、プラスに働く場合とマイナスに働く場合があると言います。私たちは、どんな誇りを持っていますか。プライドは、どのように働いていますか。ガラテヤの聖徒たちの中にあった肉の誇りから学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 人は誰でも、自分が持っているものや自分がしていることを誉められたい、評価されたいと思っています。ガラテヤの教会にも、ユダヤ人の影響を受けて、割礼を受け、律法を守ることを主張する人々がいました。彼らは、どんなことを誇っていましたか。どんな特徴がありましたか。
・12〜13節/
・Tヨハネ2:16/

2 自分たちが割礼を受け、律法を守ることを誇るだけでなく、他の人にそうさせることで誇っていました。誇りやプライドには、虚栄心や自己顕示欲とがあり、自分を大きく見せたがり、自分を認めてもらう欲求が強いです。そのために頑張ります。以前のパウロは、どんな人でしたか。そのために、何をするようになりましたか。私たち自身が以前誇りとしていたのは、どんなことですか。そのことで、どんなことが起きましたか。
・ピリピ3:3〜6/
・使徒8:3/

3 彼らの特徴は、肉において外見を良くしたい者と言われています。人は、外見を気にして生きています。人にどう評価されるかということを心配しています。人と比べることから、誇りや肉のプライドが生じたり、劣等感やねたみも生じて来ます。自分を良く見せようとするので、自分の弱さを見せたくないし、自分をさらけ出すことを恐れ、自分を隠します。私たちには、そうしたことがなかったでしょうか。
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4 人は、自分自身も周りの人々も肉のプライドによって翻弄されます。時には問題が起き、傷付きます。私たちは、どうすれば、よいのでしょうか。パウロは、何と言っていますか。
・14節前半/

5 十字架以外に救いの道はありません。世の誇る富や権力、名誉や幸いはすべて過ぎ去るからです。パウロという人は、ユダヤ社会において誰よりも誇るものが多い人でしたが、イエス様を知ってからは、それらのものをどのように思うようになりましたか。それは、どうしてですか。
・ピリピ3:7〜8/
・Tテモテ1:15,ローマ3:24/

6 私たちが注意しなければならないことがあります。以前のパウロの誇りも、ガラテヤの聖徒たちの誇りも、歪んだ信仰の熱心から生じた肉の誇りです。かつてのパウロは、律法を行う熱心は誰にも負けない自負がありました。ガラテヤの聖徒も、割礼を受け、律法を行う自分たちを誇りました。ですから、私たちも、熱心に奉仕した、信仰生活をしっかり守っているというような思いが、肉の誇りになる危険があります。どんな肉の誇りが考えられますか。そこから、どんなことが生じる恐れがありますか。
・Tコリント3:3/(参考)
・ピリピ1:17/(参考)

7 肉のプライドで奉仕すると、自分の働きを誇ったり、しない人を批判したりします。私たちは、仕えることのできることを感謝すべきです。肉の誇りは他人事ではありません。イエス様の十字架を信じて救われた後、どんなことが必要で、大事だと言っていますか。あなたは、この基準で進んでいますか。
・15節/
・Uコリント5:17 /

8 人は、自分が持つ外的な条件によって自分を誇ったり、劣等感に陥ったりしていました。しかし、新しく造られた後では、否定し、認めていなかった自分を肯定するようになります。新しくされている自分を愛し、幸せに生きて行くことになります。どうして、そのようになれるのですか。努力によるのですか。それとも、何によるのですか。
・14節後半,ローマ6:6/
・Tペテロ1:3/

9 パウロは、イエス様に出会った後、イエス様の十字架だけを誇ると言いました。それでも、例外的に一つのことだけ誇っています。それは、何ですか。それを知って、あなたの思うことは何ですか。分かち合ってみましょう。
・Uコリント11:30,12:5,9/

「命の実を刈り取ろう」

 新しく造り変えられた者は、肉の自分を頼むのではなく、問題や弱さがあれば、神に拠り頼み、御言葉に信頼します。神の力は、弱さのうちに完全に現れるからです。ですから、イエス様の十字架を誇る者は、自分の弱さを誇ることができるのです。これが、福音の力です。もう、肉の誇りに囚われる必要はありません。気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ガラテヤ6:14。

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