小グループで聖書を学ぶ

23.切株から新芽が生え(イザヤ11:1〜9)

「心の門を開いて」

 樹木の切株や倒木の根元から生えてくる若芽のことを蘖(ひこばえ)と言います。切株からの蘖によって新たな森林ができるようになります。かつての里山は、このようにして再生されていました。ユダの復興、救い主の到来の預言を通して、私たちの人生も、信仰によって、そのように新たにされるということを学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 栄枯盛衰、歴史の流れを見れば、数多くの国が勃興しては衰退して消えて行きました。ダビデ・ソロモン王朝という栄華の後南北に分裂して、12部族の内わずか2部族だけとなったのが、南ユダ王国です。そのユダ王国は、今やアッシリヤによって蹂躙され、風前の灯となりました。そのユダがどうなると言っていますか。
・1節/


2 ユダは、切り倒された切株のようになっています。しかし、切株から新しい芽が生えるように、ユダも復興するということです。私たちも、長い人生においては、失意や落胆を味わい、地位や財産を失ったり、病気や人との別れを経験したりするでしょう。そのような時、もう私の人生はおしまいだ、私には何も残っていない、再起不能だと人は言います。本当にそうなのでしょうか。
・Uコリント4:8-9/


3 果たして、言われるように切株から新芽が生えて来るのでしょうか。切株のままというのもあります。どうして、新芽が生えて、新しい人生が始まるのでしょうか。滅びた北イスラエルとユダ王国の違いは何ですか。私たちはどうですか。
・ユダ1:11/
・ローマ15:12-13/

4 「エッサイの根株から新芽が」とは、救い主の到来の預言です。ローマ15:7-13。救い主イエス様が来られ、ここから新しい神の民が芽生え、クリスチャンが全世界に生い茂って行きました。イエス様を信じて救われた者は、なぜ再起できるのでしょうか。
・2節/
・テトス3:6,ローマ8:11/

5 ユダの人々が経験したのは、人の知恵と判断力によってアッシリヤを引き入れ、悲惨と荒廃をユダに招いたことでした。知恵と力を誇った傲慢な現代人は、多くの過ちを犯し、危険なものまで作り出し、環境を悪化させ、社会に混乱と荒廃を招いています。私たちは、御霊の与える「知恵と悟り」によって物事を見極め、判断します。実際の行動や意志決定に関わる時、御言葉の助言をいただきます。そうしなければ、私たちの心の目は罪と欲によって曇ります。それで判断することは危険です。肉と欲で誤ったこと、また、御霊の知恵で守られ、導かれた経験を分かち合ってください。



6 神様のくださる御霊の知恵と力をその身にあらわし、用いられたのは、イエス様です。イエス様こそ、私たちの手本です。私たちの目指すところは、イエス様に似る者となることです。イエス様は、御父を畏れ、従われました。私たちは、イエス様のように、聞き従う者となっていますか。神様を恐れるとは、具体的にどういうことでしょうか。何か必要ですか。
・3-5節/
・ホセア6:2-3/

7 私たちがよく御言葉を学び、神様について知って行くなら、イエス様のように神様だけを恐れて、聞き従う者となるはずです。人々がイエス様に救われて、イエス様のように生きるなら、平和が訪れます。今平和の中にありますか。
・6-9節/
・エペソ2:14-16。/


8 肉食獣も草食獣も共に草を食べ、毒蛇も赤ちゃんも一緒にいるという風景は、救いがもたらす絶対的な平和をあらわしています。人は、猛獣のように争い、毒蛇のように言葉の毒を吐いて、心を傷つけあってしまいます。悲しい姿です。イエス様の十字架による救いは、人のたましいの救いに止まらず、 敵意を葬り、人々を和解に導くためでした。人間関係が変わり、人の見方や捉えかたが変わるということは、人生が変わります。あなたを取りまく関係の回復と平和の回復です。この福音の絶対的力を信じていますか。あなたの関係を妨げているものは何ですか。(参考/ローマ14:19)


「命の実を刈り取ろう」

 蘖とは、孫生えのことです。私たちが、たとえ根や切株のような存在であっても、私たちが信仰に生きて証しの生活をするなら、子や孫に信仰が芽生えます。切株のような私たちから世の人々へ、信仰が芽生えて行きます。信仰の木が実り、世に救いと平和が広がります。御霊に導かれて、あなたができることは何ですか、どのようにして行きますか。

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