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26.戒めと裁き(イザヤ13:1〜12)

「心の門を開いて」

 ここには、アッシリヤより後に歴史に登場する強大なバビロン帝国の滅亡が預言されています。何のために、このような預言が与えられているのでしょうか。ここから裁きと戒めの違いを学び、私たちに対する神様のご計画に心を留めます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 イザヤの時代は、アッシリヤ帝国が中東を支配しており、ユダを苦しめていました。後に、このアッシリヤ滅ぼして、この地域に強大な国を築くのが、バビロン帝国です。この帝国について、どんな預言がされていますか。神様は、バビロンをどうすると言われていますか。
・1-5節/


2 やがてユダは、このバビロンによって滅ぼされます。しかし、滅ぶと言っても、ユダが完全になくなるわけではありません。後には、バビロン捕囚から帰還して、国は再興されることになります。ユダをそのままにして置けば、完全に罪に染まり、神様から離れ、回復不可能になってしまったでしょう。それ以上腐敗しないようにさせたのです。この神様のご計画、取り扱いを知って、どう思いましたか。



3 もし、ユダを苦しめるものもなく、思い通りに行ったなら、神様の恵みから反れて、傲慢になって、北イスラエルの轍を踏むようになるでしょう。そうならないためのバビロンでした。私たちも、人生に何の患難もなく、思うようにできたらどんなによいかと思います。もしそうだったら、罪に走り、神様の御旨から離れてしまうかもしれません。苦難を通して引き戻され、神様に立ち返るのです。どんな苦難を通して、危ないところから引き離され、神様に立ち返ることができましたか。



4 やがて、神様の怒りがバビロンにくだります。その時バビロンは、何を信じていたのでしょうか。自らを世界最強の国だと信じていました。自分の軍事力を信じていたのです。あっ気なく滅びてしまいました。神様が私たちに求められることは、自分自身を信じるなということです。それは、努力しない、最善を尽くさないということではありません。いつでも自分中心になろうとする病い、自分の思い通りの生活病に罹っていると、苦難の中で倒れ、病気になってしまうということです。そのような病にかかっていませんか。(参考/エレミヤ13:22,ルカ6:49)
・6-8節/


5 信仰があると、自分は何か分からないけれども、神様はすべてのことをご存知だと認めます。信仰の中で苦難を経験するならば、苦難の中にも神様の計画が進んでいて、神様の時があると知るようになります。ですから、私たちは、困難の中で落胆することなく、一つずつ悟って、神様がどんなことをしてくださるのかを喜ぼうとするのです。苦難から学んだことはどんなことでしたか。(参考/詩篇119:71, ローマ8:18,エペソ3:13)



6 神様は、ユダが滅ぼされることを「戒め」と言われ、バビロンが滅ぶのを「さばき」だと言われます。「戒めと裁き」の間に、どんな違いがあるのでしょうか。バビロンの滅びは、酷く、真っ暗闇でした。神の民も戒められる時の状況は絶望的です。しかし、そのような状況で、神の民の心の中はどうなるでしょう。神様が何を与えてくださいますか。困難が近づく時、どのように思えて来るのですか。(参考/詩篇94:12-13,イザヤ9:1-2)
・9-12節/


7 神様の民は、苦難を受ける時、何よりも自分の傲慢を知らされ、神様が立ち返らせようとしておられると気付きます。それが、戒めと裁きの違いです。立ち返る時、イエス様の光を心に浴びるようになります。どんなに困難な状況でも、神様は自分に対する計画を持っておられると認めているでしょうか。そうであるなら、あなたの心はどうなりますか。
(参考/Tペテロ5:10)

「命の実を刈り取ろう」

 人は愚かな者です。神様の恵みを受けても、罪に陥り、神様から離れて、自分の思いに走ってしまいます。ですから、神様が私たちを捕まえてくださらなければならないのです。苦難という戒めを受け、悔い改めて神様のもとに立ち返る時、再び光の中を歩むようになります。ユダを滅ぼしたバビロンは滅びます。しかし、ユダの民が学んだことは、絶望の中でも滅びることなく守られるということです。私たちは、苦難も信仰で受け止めるのです。神様は自分のことをご存知であり、ご計画の中にあると考えるのです。そして、神様の御手のうちにあることを喜び、導かれていることを感謝します。今日御言葉を学んで、心に期することは何ですか。Tペテロ5:10,詩篇19:8-11。

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