小グループで聖書を学ぶ

28.虜(トリコ)にした者を虜に(イザヤ14:1〜11)

「心の門を開いて」

 ユダが滅ぼされることによって、神様の計画は完全に失敗したかのようですが、結果は、ユダはそれによって徹底的に悔い改め、信仰は純粋になりました。反面、ユダを滅ぼしたバビロンは、傲慢になり、滅びることになります。救いの中にある私たちは、苦難を通して神様にどのように取り扱われるのかを学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ユダの民は、どんなに状態が悪くなっても、滅亡までは行かないだろうと高をくくっていました。それなのに、ユダ王国は滅び、捕囚にされてしまいました。滅んでしまえば神の民もおしまいだ、と思ったでしょう。でも、本当に神の民はおしまいなのでしょうか。神様は、ユダの民を見捨ててしまわれたのでしょうか。
・1節前半/


2 ヤコブもイスラエルも、ユダの民のことですが、神様は、ユダをあわれみ、再びユダを選ぶ、つまり選びの計画を変えないと言われたのです。イスラエルの選びは、何か資格や理由がありましたか。私たちの救いの選びについては、どうですか。
・申命記7:6-7,
・エペソ2:5/

3 ユダの民は自分たちの土地に帰還させると約束されましたが、どのようにして帰還させると言われていますか。どうしてそうなるのでしょう。(参考/ゼカリヤ8:20~23)
・1節後半/


4 捕囚の地で証しの生活をし、真の神の信仰を信じる人々が多く起こされ、彼らが含まれた新しいイスラエルとなって、神の民が帰って来るというのが、神様のご計画です。ユダの滅亡は、福音を世界に広める機会となったのです。神様は、私たちが遣わされる所で証しの生活をし、それによって福音が広がり、人々が救われ、教会に加えられるというデザインを持っておられます。この、神様の救いのご計画を知って、どう思いますか。



5 イスラエルの民については、カナンの地にいる時、しっかり信仰していたわけではありませんでした。周辺国の罪の道に倣い、偶像にも仕えました。ところが、国が滅んで捕虜になって、散らされた時、民はようやく自分たちの持っていた信仰がどれほど尊いものか、悟るようになりました。患難の時、純粋に信仰に生きてこそ、患難に耐え、乗り越えられるだけでなく、かえって活躍できるようになるのです。そのようになった経験があれば、分かち合ってください。



6 軍事的にはバビロンがユダを征服したけれども、精神的にはバビロンとユダの関係は、どのようだと言われていまか。
・2節/


7 「自分たちを虜(トリコ)にした者を虜にし」とありますが、軍事力で神の民を虜にした者たちを福音によって虜にしたということです。パウロがローマで裁判のために投獄されたことを通して、どんなことがおこりましたか。あなたや周りの人で、そのようなケースを見聞きしたことはありませんか。
・ピリヒ1:12-13,4:22/


8 絶大な権力を振るっていたバビロンは滅びます。バビロンの絶大な権力は、元来彼らのものなのですか。高慢になり、横暴になっていたバビロンは、どうされると言っていますか。
・4-5節/


9 どんな人でも、権力を与えられるとそれを振るうようになります。あたかも自分が何者かになったかのように威張り、権力を行使しようとするのです。神様から貸し与えられたものなのに、愚かにも上に立って力を振るうことはなかったでしょうか。イエス様は、私たちにどのような者になりなさいと繰り返し言われていますか。
・マタイ20:25-28/

「命の実を刈り取ろう」

「国々の民は彼らを迎え、導きいれる」とは、捕虜とされた所で、その生き方が評価され、その地の住民に受け入れられたようです。カナンの地ではふらふらした信仰だった彼らは、異邦人の中で真摯に信仰に生きて、捕囚の地で危機感をもって信仰を子供たちに伝えました。そうしなければ、未来はなかったからです。私たちも、言わばバビロンのような現代社会に住んでいます。信仰に生きる生活は、あなたにとってどのようにすることですか。導かれたことを分かち合いましょう。

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