小グループで聖書を学ぶ

30.神様の統治の中で(イザヤ14:24〜32)

「心の門を開いて」

 ユダの民は、バビロンの預言を聞きましたが、目の前の敵はアッシリヤであり、ペリシテでした。それらの国はどうなるのか、我々はどう備えればいいのか、というような質問をしていたでしょう。それに対する答えが、きょうの箇所です。私たちの問題は、どうなるのでしょう。どう備えればいいのでしょう。主の答えを聞きましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 アッシリヤが、次々と諸国を滅亡させ、ついにエルサレムにまで迫った時、ユダは、もうこれまでか、と思ったことでしょう。神様は、暴走するアッシリヤに対しては、どんな計画を持っておられると言われていますか。
・25-27節/


2 時には、私たちにも、患難や問題が迫って来るでしょう。もうだめだ、絶望だと思うかもしれません。しかし、先はあります。終わりではありません。私たちには、神様の救いの計画が続いているからです。神様は、困難の渦中にある私たちに何と言われていますか。
・エレミヤ29:11/


3 神様が、患難を通して私たちに教え、求められることがあります。どんなことですか。
・U歴代7:14/
・箴言22:4/
・ヨブ42:6/

4 私たちは、患難の渦中において、自分なりの算段をし、問題の成り行きを決め付けてしまいます。しかし、患難の渦中でも神様のご計画がある、私の思いを越えて働いてくださる、ということに目が開かれると、どうなりますか。



5 ユダがアッシリヤと戦ったのではなく、神様がアッシリヤと戦い、敗走させました。ユダの民は、自分たちの軍事力に頼れず、神様の御言葉の約束を信じて、拠り頼みました。アッシリヤは、諸国を滅ぼすことができても、神の民の住むエルサレムを滅亡させることはできませんでした。このことが私たちに教えていること、私たちが悟ることのできることは何でしょうか。(参考/U列王19:32-36)


6 次に、ユダともっとも長い間敵対関係があった国、ペリシテについて語られています。どのような計画が語られていますか。「毒蛇、火の蛇」と「北から煙」とは、凶暴なアッシリヤ軍をさしています。
・29,31節/


7 ペリシテは、ギリシャ文明の影響を受けていた五つの都市国家の連合体でした。文明的、知性的であるがゆえに、彼らは、人の偉大さが中心でした。ところが、すぐ近くに住むユダの民は、唯一の神様が中心であり、すべてにおいて神様に拠り頼み、御言葉に聞き従おうとする民です。ペリシテ人にとって、ユダの民は愚かに見えたようです。あなたも、ペリシテ人のような現代人から侮られたことがありますか。神様に拠り頼み、御言葉に聞き従う民としての確信が揺らぐことがありますか。


8 今日も、人間中心主義の人々は、進化論を主張し、神の存在を否定し、人間の力がすべてを可能にすると考え、神様がされることを自分たちもしようとしています。しかし、近年、文明や社会の荒廃を見たり、大災害や大事故、気候変動を通して、人々は高慢に気付かされるようになりました。あなたは、どんなことで、高慢に気付かせられましたか。


9  アッシリヤがエルサレムから敗走した後、どうして強大なアッシリヤが小さなユダに負けたのか、ユダの民の生き方、国のあり方は何かを知りたい、と多くの国々が使者を送って来たようです。その答えは、どうでしたか。どのような意味ですか。
・32,24節/

「命の実を刈り取ろう」

 サタンに騙されて、人間中心主義、自分が心の王座に座っているのは、己を神とすることであり、大変危険です。大事なのは、神様の統治、神の支配の信仰です。神様は、御翼のもとに身を避ける神の民を保護してくださいます。詩篇17:8,57:1。私たちが生きる唯一の道は、神様を避け所とすることです。そこで、高慢からも、サタンのわなからも守られます。教会も、避け所です。神の御子イエス様が、自分のために十字架にかかってくださった。このすばらしい救いがあるのです。ただ、イエス様の十字架のもとでこそ、私たちは、生きることができるのです。今日の学びを通して、どのようなことに気付かされましたか。どんな信仰で生きようとしますか。分かち合いましょう。

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