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31.妬みと劣等感の果てに(イザヤ15:1〜9)

「心の門を開いて」

 モアブに対する預言が記されている箇所です。1節。モアブは、突然アッシリヤに攻撃され、滅亡することになります。モアブは、死海の東に位置し、イスラエルにもっとも近い関係にある小さい国です。しかし、その関係は、不幸な歴史でした。そのことが、この国の滅亡に繋がっています。このモアブの姿から、私たちが学ぶことができるのは、どんなことでしょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 イスラエル民族とモアブ民族は、地理的近いばかりでなく、どんな関係にありましたか。どんな事件がその間にありましたか。
・創世記19:36-37/
・申命記23:3-4/
・T歴代18:2/

2 モアブは、アブラハムの甥ロトの子孫です。その出生は、問題がありました。信仰の父と呼ばれたアブラハムは、苦難の中でも神様に聞き従いましたが、利益優先の現実主義者であったロトは、退廃したソドムの野での安泰生活を選びました。ソドムの悪影響を受けたモアブは、悪行と忌むべき偶像崇拝をする民となり、神の民イスラエル民族と比べては、劣等感を覚え、ねたみと敵対心を抱いていました。しばしば争い、結局ダビデ王の時代に、イスラエルの支配に入りました。この二つの民族の関係を参考に、人と人の間の妬みや敵対心の関係をどうみることができますか。



2 モアブの特徴は、イスラエルと近い関係だけれども、信仰的影響を受けることなく、いつも妬みと劣等感で敵対していたということです。人を羨んで恨んだり、妬みと劣等感に囚われたりして、不幸な人生を歩んでいる人々が何と多いことでしょう。神様は、どのようにして、私たちを妬みと劣等感から解放し、敵対心や憎しみを止めさせるのですか。
・ガラテヤ5:20,21,24/
・エペソ2:14-16/

3 モアブは、神の民ユダを妬み続け、敵対していたことが問題でした。北イスラエルが滅んだ時には、独立して喜んで、有頂天になっていました。そして、富と繁栄に奔走していました。そのモアブに、何が起こりましたか。
・1節/


4 都市の名前が列挙されています。アッシリヤの攻撃は国中に渡り、安全な所はなかったということです。そんな状況の中にあったモアブは、何をしていますか。神の民とどう違いますか。私たちは、どうですか。(参考/T列王21:27,詩篇142:1-2)
・2-4節/


5 モアブの嘆きは、神様の前に悔い改める姿のように見えますが、そうではありません。自分にとってすべてだ、というものがなくなったから嘆いたのです。患難や災害に出会うのは、信仰のない人も信仰を持つ人も、同じです。同じように痛みや衝撃を受けます。しかし、信じる人は、困難を通して、以前よりもっと神様に望みを持つようになりまり、世のことに心奪われていたことを悔い改め、傲慢であったことに気付き、神様に立ち返ります。そして、立ち上がり、復興して行きます。これを読んで、思ったことを分かちあいましょう。



6 モアブの人々の逃げる様子に、一つの特徴があります。それは、モアブの人々が何を求めて生きていたか、心をどこにおいて人生を過ごしていたか、何をもってユダに対するプライドとしていたかがあらわされています。そのために嘆いています。それは何ですか。
・6-7節/


7 この世に安全地帯はありません。ある期間世のものを用いて生きているだけで、それらがなくなる時は、一瞬です。ですから、永遠に変わらないものをつかまなければなりません。モアブの姿も、現代社会の混乱や災害も、それを教えています。土地の荒廃を嘆き、財産を多く抱えて逃げるモアブの人々の姿は、地上に財産を積み上げる者の姿です。では、御国に宝を積む生き方とは、どのような生き方でしょうか。
・ルカ12:19-21/
・Tテモテ6:6-8/

「命の実を刈り取ろう」

 モアブは、イスラエルに属して神様の恵みの近くにいながら、イスラエルに対して妬みや劣等感を持ち続け、敵対しました。神様を求めずに富を求め、結局すべてを失うことになりました。私たちは、モアブの姿から多くのことを学び、顧みさせられます。あなたは、どんなことに気付かされましたか、どう生きることを示されましたか。

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