小グループで聖書を学ぶ

36.散らされて広がる福音(イザヤ19:16〜25)

「心の門を開いて」
 
 ここには、エジプトに福音が伝わった姿が記されています。その伝わり方は、驚くようなものです。その様子を学びながら、私たちに対するメッセージを受けましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 アッシリヤに滅ぼされた北イスラエル、攻められているユダから生じた大勢の難民は、どうしたのでしょう。戦争や飢饉の時、イスラエルの民は、どこへ避難していましたか。(参考/創世記42:2,エレミヤ42:14)



2 北イスラエルやユダの民が避難したエジプトで、エジプト人たちはどのようになりましたか。
・16-17節/


3 エジプト人は、次はエジプトが攻められると恐れおののきました。これまで頼りにしていた占いも様々な偶像も頼りになりませんでした。エジプトの心が向いたのが、イスラエルの神でした。避難して来たイスラエルやユダの民の姿を見たからです。どんな姿だと思われますか。(参考/ピリピ4:11-13, 使徒8:4,11:19-21)



4 北イスラエルの民は、滅びる前はほとんど信仰をなくしていました。ユダの民も、ときおり不信仰に陥ったりしていました。どうして、避難先のエジプトで、地の塩、世の光となって、証の生活をするようになったのですか。滅ぼされてエジプトに避難という境遇を通して神様に改めて出会い、生き方を変えるようになったと思われます。あなたにも、そのような体験があったら、分かち合ってください。



5 真実な神の民の証しの結果、エジプト人にどんなことが起こりました。
・18-19節/

6 カナン語とは、ヘブル語のことです。多くのエジプト人が、真の神様を信じるようになり、避難した神の民と共に信仰の町を作ったというのです。「万軍の主に誓いを立てる」とは、しっかり礼拝すること、神様を主とすること、主権を明け渡すことを誓ったということです。クリスチャンも、「礼拝する民」と知られています。あなたの礼拝生活は、どうですか。あなたの主権は、だれですか。



7 真の神様を信じたエジプトの民は、神様に対してどのようにしましたか。彼らに対して神様はどのようにしてくださいましたか。
・20-22節/


8 20節の「救い主を送られる」というのは、究極的には、イエス様の預言です。福音の種が全世界にまかれ、やがて全世界の民が、偶像や迷信、罪や悪から立ち返って来て、主を求めるようになるということです。恐れや不安の現代は、エジプトのようです。だれでも本当は救い主イエス様を必要としています。今この混乱と衰退の時代こそ、エジプトでの神の民のようなクリスチャンが必要です。私たちができることは何ですか。(参考/使徒8:31,Tペテロ3:15-16)



9 このようなエジプトの福音化は、大路が通じるように、アッシリヤにも影響を及ぼすとありますが、神の民が中心とになり、福音の恵みを受けるようにさせています。私たちも、イエス様と人々とを執り成すものとなります。あなたの前に道が通じていますか。執り成しを避ける対象はありませんか。
・23-25節/


「命の実を刈り取ろう」

 「わたしの民、わたしの手でつくった、わたしのもの」(25)とは、神様の作品だということです。イザヤ43:1,4。この世でもっとも尊い神様の作品とは、イエス様の十字架のゆえに、新しい被造物となった私たちです。Uコリント5:17。私たちは、もっと自分を尊い者と思わなければなりません。イエス様の尊い犠牲をもって買い取られた存在です。エジプトでの神の民のように、私たちは、この日本に「散らされた神の民」です。造り変えられる私たちを通して、愛するこの国を福音化し、救うことが、神様のビジョンです。神様のビジョンと期待にどのように応えて行きますか。

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