小グループで聖書を学ぶ

39.神が求められること(イザヤ22:1〜14)

「心の門を開いて」
 
 歴史の碩学は、「歴史は、過去を見ることで、現在を理解し、そして未来に備える。」と言います。現在だけを見ていては、現在をしっかり理解することができないし、未来に備えることもできないからです。私たちが旧約の歴史を学ぶ意味も、そこにあります。今日の個所からも、大事なことを学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 「幻の谷」とは、エルサレムのことです。古代のエルサレムは、山々に囲まれていました。そのエルサレムについて、イザヤが見た幻は何ですか。それは、どういうことですか。
・1-2節前半/
・U列王19:35-36/

2 今までエルサレムを取り囲んでいたアッシリヤ軍が、突然包囲を解いて、退却して行ったので、人々は、喜び、有頂天になりました。 ところが、その喧騒のエルサレムはこの先どうなりますか。どんな幻ですか。
・2節後半-3節/


3 大事なことは、解放の喜びで沸き返っている時に、イザヤがエルサレムの悲惨な将来の幻を見る理由は何か、ということです。喜び、騒ぐ時、目を向けるべきこと、解決すべきことがあるのです。どんなことですか。
・4節/
・詩篇119:59/
・使徒17:30/

4 解放の喜びに酔いしれたままだったら、その後再び世の何かに心を寄せ、同じことを繰り返すでしょう。人は、困った時には神頼みをしても、叶えられれば忘れてしまうものです。残念ながら、神の民はそうだったのです。私たちは、どうでしょうか。



5 彼らは、神様の御言葉よりも、自分がしたいことをして物事を解決しようとしました。気に沿わない御言葉は、束縛と感じて拒みました。アッシリヤに攻められ、滅亡手前まで行ったのは、神様を離れて自分勝手な行動をしてはならないということを覚えさせるためでした。そのような神様の取り扱いを受けたことがあれば、分かち合ってください。



6 エルサレムを取り囲んでいるバビロン軍の中にエラムとかキルの人々がいましたが、かつてアッシリヤに苦しめられた同じ境遇の民族が敵になっているのです。それを見たエルサレムの人々は、どう思ったでしょう。
・5-7節/


7 8節からは、当時のエルサレムに戻ります。エルサレムに、三つの防備がなされました。その三つとは何ですか。
・8-11節前半/


8 エルサレムがどれほど現実的に防御に努めたかは分かります。ただし、重要なことを疎かにしていました。武器と水の確保と城壁修理というように防御を固めても、最も大事なことが欠けていたのです。どんなことですか。
・11節後半/


9 リバイバルとは、何でしょうか。神様との正しい関係に立ち返ることです。神様と自分の間を妨げているものを取り除き、悔い改めて、神様に拠り頼むことです。神様が求められたことは何ですか。エルサレムの民の応答は、どうでしたか。
・12-14節/


「命の実を刈り取ろう」

 アッシリヤに対する勝利が証ししているのは、エルサレムの強さではなく、神様の恵みと哀れみでした。彼らの不真実にもかかわらず、神様の真実さがくださった勝利です。終わりまで彼らを愛してくださるというしるしです。私たちは、このような神様の驚くべき神の愛を経験しています。まず、イエス様の十字架を通して救われたことです。救われるべき条件は私たちには何もないのに、一方的に救いに選んでくださいました。その後も、不従順や高慢にもかかわらず、見捨てることなく、変わらずに愛し守ってくださいました。私たちは真実でなかったけれども、神様は真実でした。この神の愛にどう応えようとしますか。(参考/Uテモテ2:13,イザヤ59:20)

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