小グループで聖書を学ぶ

40.主の忠実なしもべとして(イザヤ22:15〜25)

「心の門を開いて」
 
 私たちは、どのような使命感で仕事や学びに臨んでしているのでしょうか。クリスチャンとして、どんなポリシーをもって世に生きているのでしょうか。ユダ王国がアッシリヤ帝国に苦しめられていた時代、エルサレムにいた二人の官僚の姿を通して、神の民としての職責、働く者の霊的ポリシー、ライフスタイルについて学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 まず一人目のシェブナという官僚は、何をしている人ですか。「あの」という指示代名詞がついていることから想像されることは何ですか。
・15-16節/


2 王の側近として宮廷で権力をふるっていたシェブナは、エルサレムの国庫を預かる役人でしたが、戦費や貢物費用だけでも大変な時なのに、莫大な国庫を自分のことに使いました。神様は、このようなシェブナをどうしますか。そこには、神様のどのような権威が示されていますか。
・17-19節/


3 神様は、このようなシェブナをその地位から退けます。実際には、バビロン捕囚となり、彼の用意したものはことごとく失われ、奪われてしまいます。「ここはあなたに何のかかわりがあるのか。ここはあなたのだれにかかわりがあるのか。」というのは、どういう意味ですか。イエス様の言われた譬え話を参照しましょう。
・ルカ12:19-20/


4 人の欲と心配は尽きることがありません。もし私たちが未来のことを心配するならば、シェブナのように際限なく何かを準備しておかなければならないようになります。イエス様は、私たちに、クリスチャンとしてどのような姿勢を勧めておられますか。
・マタイ6:33-34/


5 神様は、シェブナをその職から罷免し、代わりにヒルキヤの息子エルヤキムをその任命します。シェブナと比べて、立場はどうでしょう。どのような姿勢で働いた人でしょうか。
・20-22節/


6 究極的には、ダビデの鍵を持っておられるのは、イエス様です。イエス様は、ご自分に従う弟子に対して御国のかぎを与えると言われました。これは、イエス様を信じて救われた者が、福音の管理者として人々を救いに導く特権と責任が与えられていることを教えています。福音の管理者となっているあなたは、どう担いますか。(参照/黙示録3:7)
・マタイ16:19/


7 当時の家の中では、壁に釘が打たれて、様々なものがかけられていたようです。エルヤキムが壁に打たれた釘に譬えられていますが、何を意味していますか。あなたは、どこに打たれた釘ですか。その釘には、何がかかっていますか。
・23節/


8 私たちに、そこにいる人々の救いと恵みの人生がかかっています。その責任と気概を私たちは持つべきです。エルヤキムという釘は、その後どうなりますか。なぜ、そうなるのですか。
・24-25節/


9 神のしもべとして公平、正直に職務を遂行していたエルヤキムも、彼を頼って来る一族や関係者の情実にとらわれて便宜をはかり、応じて行くうちにしだいに不正を行ない、職責を逸脱するようになったようです。エルヤキムにしてこうなってしまうほど、人は気付かぬうちに罪に陥ってしまうのです。人には、自分を律し、自分を変え、自分を救う力はありません。どうすれば、いいのですか。
・Tペテロ2:24/
・イザヤ17:7/


「命の実を刈り取ろう」

 今日の個所に、クリスチャンのスチュワードシップ、忠実な管理人の生き方が教えられています。はじめエルヤキムを「しもべ」(20節)と呼んでいます。国庫を自分勝手に用いず、ただ神様の御旨に沿うように忠実に用いた忠実な管理人だったということです。私たちクリスチャンはみな、シェブナやエルヤキムだと言うことができます。私たちは、すべてのものを神様から管理を委ねられている者だからです。そして、忠実な神のしもべとして、委ねられている財物や能力で神様の働き、たましいの救いの働きをして行くのです。きょうの学びを通して示されたこと分かち合いましょう。マタイ25:21。

戻る