小グループで聖書を学ぶ

42.あなたはどう生きるのか(イザヤ24:1〜13)

「心の門を開いて」
 
 21世紀に臨んで、世界は大変暗い憂うつな様子になっています。現代は、人間の欲にブレーキがかからず、制御が失われ、破滅に向かっているようです。その中で生きる私たちは、御言葉を通してどのように生きるかを学ばなければなりません。

「御言葉の種を蒔こう」

1 「民と祭司」という言葉から、この地は、エルサレムを指していることが分かります。エルサレムという地が、どのようになると言っていますか。
1,3~4節/


2 地が荒れ廃れる。それは、人々が散らされて、家が荒れ廃れ、畑は荒れ地になり、町は、ゴーストタウンのようになるというのです。どうして、エルサレムがゴーストタウンになるのでしょうか。2節の前半は身分を表し、後半は行なっていることをあらわしています。「等しくなる」という言葉に注目して考えてみましょう。
・2節/
・ホセア4:9~10/

3 地の荒廃の前に、彼らの心が荒廃していたのです。民も祭司も、しもべも主人もみな、信仰者としての使命を受けて、生かされていたのですが、彼らは職責や役目を忘れ、物の売買や、お金の貸し借り、投資や富の蓄積に、心が奪われ、考えや行動の中心になっていたのです。今心が囚われていることがありますか。エルサレムの人々と同じようなことが、あなたの考えや行動を占めていませんか。



4 神様が願うことは、私たちが、それぞれの働きと生活を通して神の栄光をあらわし、最高の信仰を生きることです。イエス様の尊い犠牲によって救われた私たちは、自分の人生の使命と主の期待を無にするわけには行きません。パウロの証しを読んで、思うところを分かち合いましょう。
・使徒20:24/


5 神の民が住む地が荒廃してしまった原因として、もう一つ大事な点が指摘されています。それは、どんなことですか。
・5節/


6 地が荒れ廃れた理由は、神の民が、神様の律法を無視して、御言葉に聞き従わす、自分の欲心のまま生きていたからです。バビロンに引かれて行く前に、すでに神の民としての力を失っていたのです。イスラエルにカナンの地が与えられたのは、約束のためです。しかし、信仰が廃れて、御言葉を守らなくなるなら、その地は取り上げられるということです。クリスチャンが御言葉に聞き従わないことは、どういうことだと感じましたか。



7 エルサレムの滅亡が教えることは、エルサレムが裁かれるなら、世のすべての人々がさばかれるということです。終末のさばきが教えていることは何ですか。
・4節/
・Uペテロ3:9/

8 アッシリヤが退却し、困難が取り去られ、好景気となったユダは、何をしていますか。その民を神様は、何と思われ、どうされますか。
・7-9節/
・10-13節/

9 神様は、教会の機能を失ったエルサレムを退かせます。教会の機能は、人が神様に背を向け、罪のために滅びに進んでいることを知らせることです。人が悔い改めて、イエス様の救いにあずかるようにさせることです。私たちは、沈没する船から人々を救い出す任務を負っている救助隊のようです。船はだんだん沈んで行くのに、乗客たちは誰も沈むとは思わない、そのような中でも、沈没する時まで一人でも説得して救い出すのが、私たちの任務です。この任務とエルサレムの荒廃を見て、思うことは何ですか。


「命の実を刈り取ろう」

 終末は、教会の時代です。教会とクリスチャンは、神様から救いと力と使命を与えられています。私たちがどうするかで、世の人々が生きるか滅ぶかになります。私たちは、世の多くのことに費用と時間をかけ、人生を過ごしているかもしれません。私たちは、それぞれの立場で、神様から受けた使命と責任を果たすことに人生を用いるべきです。私たちがそれを厳粛に成し遂げようとするなら、どんなに弱くても、神様が守ってくださいます。力を注いで、導いてくださいます。その人生は祝福された有意義な人生となります。主の栄光を共に見たいのです。今日の学びを通して示されたこと、決意したことは何ですか。

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