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44.救いの勝利と賛美(イザヤ25:1〜12)

「心の門を開いて」
 
 この賛美には、神様の救いの御業が告げられ、救いの恵みと祝福が告白されています。ここでは、今私たちに起こっている救いについて語っています。救いは、イエス様が世に来られてすでに始まっています。私たちの人生に大きな変化が始まっているのです。

「御言葉の種を蒔こう」

1 神様の救いを知るようになれば、感激と恐れをもって、賛美が出て来ます。どんなことを賛美していますか。
・1~3節/


2 神様が、「不思議な計画を忠実に成し遂げられる」とは、結局何のことですか。(参考/使徒13:23)
・9節/


3 アッシリヤとバビロンが、石くれの山となり、城塞が廃墟になる預言ですが、神様が願われることは、単に奴隷状態や強国支配からの解放ではありません。どういうことを願われているのでしょう。
・使徒3:19,26:18/


4 神様は、イスラエルの民が奴隷や捕囚となることで、罪を悟るようにされ、神に立ち返ることに目が開かれるようにされました。私たちが経験するすべての悲惨は、罪の副作用の結果なのです。イエス様は、その人の罪のために何をしてくださったのですか。
・Tペテロ2:24/


5 この世で信仰者が生きるということは、次々と問題におそわれたり、苦しい辛いことを多く経験したりするものです。神様は、救われた者をどうしてくださると約束しておられますか。
・4-5節/

6 神様が嵐の時の壁となってくださり、日照りの時陰となってくださると約束されています。あなたは、神様を「我が避け所」としていますか。(参考/詩篇62:8)



7 神様は、救いを受ける民を祝福されます。豊かな宴会の表現や顔覆いを取り除くという表現は、何を意味していますか。(参考/Tペテロ2:9, コロサイ1:22)
・6-7節/


8 人は、死や病気について恐れや悲しみを抱きます。人々からの攻撃や中傷によって、辛さや痛みを受けます。しかし、イエス様を信じて救われた者には、驚くべき慰めと励ましを宣言されています。どんなことでしょうか。それは、イエス様が私たちに対して、何をしてくださったからですか。
・8節/
・Uコリント5:15/

9 10-12節で取り上げられてモアブという国は、神の民に敵対し、攻撃し、揺さぶる周りの人々の例です。モアブは、処世術を身に付けて大国の中を泳ぎまわり、神様に従い続ける愚直な神の民に対して、誇っていました。あなたは、世の中でうまく立ち回り、遊泳術を身に付けた人を羨んだりしていませんか。神様は、そのような者がどうなると言われていますか。
・10-12節/


10 9節で「この方こそ、私たちが待ち望んだ主」と告白しますが、約束されていた救い主に出会い、信じるということは、どういうことなのですか。
・Tペテロ2:25/


「命の実を刈り取ろう」

 世の中では、モアブのように、多くの人々がうまく立ち回り、泳いでいます。しかし、イエス様の十字架の血潮で洗われた人は、聖霊に導かれて一日一日を生きるようになります。世の誤った潮流を追うのではなく、神様の導かれるところを進みましょう。罪の衝動に流されないで、信仰で生きましょう。救いの恵みと守りを受けて生きることができます。イエス様の救いは、守りと祝福に満ちています。私たちが世に生まれて以来、捜し求めていた救い主に出会い、立ち返ることができることは、なんと言う恵み、祝福でしょうか。今日の学びを通して、この救いの恵みにどう応答しようと導かれましたか。

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