小グループで聖書を学ぶ

45.神様を信頼し、御名を呼ぶ者(イザヤ26:1〜10)

「心の門を開いて」
 
 世にあれば、クリスチャンは、葛藤を経験します。正しい者が苦難を覚え、正しくない者が力を持っているように見えるからです。不義が世界を覆い、暗い時代であろうと、神様を信じて、悪に妥協しない者を、神様は救い出し、守られます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 歌が記されています。苦難が起こった時、神の民はこの歌を歌うようにしたようです。神様はどうしてくださる、と歌っていますか。
・1~2節/


2 神様が城壁と塁で守ってくださるというのは、どんなイメージでしょう。次の個所を読んで、感じたことを分かち合いましょう。
・U列王6:15~17/


3 「誠実を守る正しい民を城塞の中に入らせよ」と言っていましたが、次の節では、彼らがどんな人だから守られる、と言われていますか。
・3~4節/


4 「志の堅固な者」とは、「心の安定した人」という意味です。人々が罪に妥協していても、自分は損な立場になって圧迫を受けても、まったく揺さぶられず、神様に「信頼し」続ける人です。神様は、そのような人を、まったき平安のうちに守ってくださり、岩となってくださいます。私たちは、最後まで神様を信頼し続けなければなりません。救われた者のすることは、これだけです。神様に信頼すれば、神様が自分の磐石となってくださるのです。どんな人生となりますか。
・マタイ7:24-25/


5 クリスチャンに迷いがあります。果たして御言葉のまま生きて、世の中で豊かな生活を享受できるのだろうかと。心がそちらに向くと、世の価値観の方が良く力あるように見えてしまいます。世の流れに乗った方が利巧だと考えます。神様中心でなく、自分中心を捨てない方が得なように思います。しかし、重要なことは、どれだけ神様と正しい関係で生きるかということです。不義の勢力は、どうされると言われていますか。
・5節/


6 「神様が義人の道筋をならして平らにされ」(7)というのは、信仰で生きる者が、困難な道を歩んだり、苦しめられたりしても、守られ、その道を通ることができるということです。義人とは、罪のない、正しいと認められたという人ですが、どうしてそうなるのですか。
・7節/
・Tペテロ2:24,ローマ3:24/

7 8節は、大変美しい教理を含んでいます。悪者にとって、裁きはさばきのままですが、信仰で生きる人は、苦難を通して戒めを受け、恵みに繋がります。「さばきの道」は、救われた者の中にある罪の残りを除き取るために、試みられる時でもあります。苦難は、正しい者にも起こりますが、その時、神様に拠り頼む者は、どうしますか。
・8節/


8 神様に拠り頼む信仰者は、苦難の中で神様の御名を呼び求めます。神様の御名、ヤッハウェー(4節のヤハは短縮形)は、「自ら存在する者」です。これは、被造物ではなくて、創造主であるという意味です。ヤッハウェーは、太文字の「主」と訳されていますが、「約束を守られる神」をあらわしています。しもべである神の民の責任を取られるということです。どのような心で主の御名を呼び、祈ることができますか。(参考/出エジプト3:14, ヨエル2:32)


9 「夜」とは、先が見えない暗い苦しい時期を示しています。義人は、そのようなとき絶望に陥らないで、どうするのですか。悪者は、裁きの道で神様があわれみを示されるとき、どうするのですか。
・9~10節/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架でしか、罪を解決する方法はありません。重要なことは、悔い改めることです。イエス様を信じて、救い主を心の王座に迎え入れることです。そうするなら、神様の磐石の上で生きることになります。苦難の中で、神様を慕い求め、主の御名を呼び求めるのです。詩篇69:30。神様の城壁と塁の中にいる平安がありますか。神様を拠り頼み、慕い求めます、と宣言しますか。

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