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46.古い自分に死んで、新しい人として生きる(イザヤ26:11〜21)

「心の門を開いて」
 
 救いを求める者に対する神様の熱心と素晴らしい救いの御業が賛美されています。人は、神様の救いの御業を知って悔い改め、悔い改めてこそ、新しい命に生きるようになります。私たちも、学んで、新しい命に生きたいと願います。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ユダの民は、神様の愛が冷めたと考えました。困難が続いているにもかかわらず、迅速に助けてくれない、誠意がないように思われたからです。自分が望んでいるように中々してくれないと思うのです。神様は、神の民に対してどうなのですか。
・11節/


2 神様は、神の民が、患難を通して、罪を悔い改めて、立ち返ってくるように、熱心に働かれました。神の民は、この神様の熱心にどう応えればいいと思いますか。



3 神様を恐れないで、心のまま欲心で生きることが、どれほど恐ろしく、悲惨なことか。私たちのすべきことは、罪を悔い改めてただ神様だけを拠り頼むことです。そうすれば、神様は私たちを通してとても尊いことを行なわれます。どんなことですか。
・12節/


4 神様に出会うまでは、まったき平安というものがありません。何か不安なことがあると、あれこれと動き回って、静かにしていられません。世の平安は、大過なく過ごすということであり、問題もなく、労苦も悩みもないのを平安と言います。しかし、クリスチャンは、絶え間なく問題と患難が押し寄せる中でも平安を受けるのです。なぜ、そのような平安になれるのですか。平安があると、どうなりますか。
・ピリピ4:7
・ピリピ2:13

5 ユダの民は、常に他の民を羨ましがっていました。彼らが肉の思いを満足させて生きていたからです。神の民は、羨んでいた民の奴隷や捕虜となった時、決して幸いではないことが分りました。何かがなくても、できなくても、神様を恐れて謙遜に生きる方が、何倍も幸いだと分ったのです。私たちのうちにも起こる思いでしょうか。
・13節/
・使徒4:12/

6 14-15節には、神の民の二つの国が語られています。罪のゆえ滅びて行った実際の国と神様の祝福で回復して行く神の民という霊的国です。私たちのうちの中にも、二つの原理があります。どういう原理ですか。どちらの原理で生きていますか。
・14-15節/
・ローマ8:2,5,6/

7 神の民は、苦難の時につぶやくように祈りました。患難の時、まるで産みの苦しみで叫ぶ妊婦のように、自分の肉の思いをぶつけて、叫び祈りました。その結果、風のように何も成果はなかったと言っています。あなたは、どのように祈っていますか。
・16-18節/


8 神様が願ったのは、私たちがイエス様を信じてどうなることですか。神の民は、どう賛美していますか。(参考/エペソ2:1,3)
・19節/


9 肉の欲のまま罪に生きたイスラエルは、滅んでしまいましたが、神様の御心に従って生きる霊的イスラエルである神の民は残りました。教会とクリスチャンは、新しいイスラエルと呼ばれています。私たちにも、古い人と新しい人というものがありますが、イエス様を信じることで、それぞれどうなると教えていますか。
・ローマ6:6/
・Uコリント5:17/

10 裁きの中に救いの恵みがあります。神様が困難の中にある聖徒たちに命じていることは、出エジプト過越の救いを思わせます。過越は、何をあらわしていますか。
・20-21節, 出エジプト12:21-23/
・ヨハネ1:29,Tコリント5:7/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の十字架は、人の罪のための裁きです。肉の自分を悔い改めると、自分中心の罪が、イエス様の十字架とともに釘付けにされます。ガラテヤ5:24。そして、御霊に満たされて、新しい命に生きるようになります。イエス様にあって新しく造られた者は、すべてのことが新しくなります。イエス様の十字架の救いによって新しくされた人として、どう生きていますか。どう生きようと導かれましたか。示されたことを分かち合いましょう。

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