小グループで聖書を学ぶ

50.封じられた書物のように(イザヤ29:1〜12)

「心の門を開いて」
 
 人のもっとも難しいことは、問題の元が自分にあると気付かず、問題や人ばかり見ている姿です。神様は、神の民が自らの姿に気付いて、御前に立ち返って来ることを願われ、メッセージを送られます。私たちも、御言葉を通して、自分がどのような状態にあるのか、どのような信仰にあるのか気付かされましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 「ああ」と嘆く場面が出て来ます。アリエルとは、「祭壇の炉」のことです。どこを指して呼んでいるのでしょう。なぜ、アリエルと言って、嘆いているのですか。
・1~2節/


2 祭壇と言えば、罪の赦しを求めて、犠牲をささける所です。エルサレムは、民が神様の御前に悔い改め、罪の赦しを受け、新しい人にされる場所なのに、むしろもっと悪くなり罪が生じる所となっていました。そのために、エルサレムはどうなりますか。そして、人々は、どのようになるというのですか。
・3~4節/


3 神様は、色々な出来事を通して、私たちが正しい信仰に立ち返ることを願っておられます。「アリエル」とは、私たちにとって、教会です。神様の御前に悔い改めて、真実な信仰に生きるようにさせる祭壇の機能を守らなければなりません。あなたは、どのような姿勢で礼拝に臨んでいますか。



4 神の民の立ち返りを願われる神様は、エルサレムを敵に囲ませる一方、その敵に対しては、どうされますか。なぜ、そうされるのですか。
・5~8節/


5 神様は、神の民を虐げる敵をいつでも退かせることができる、と約束されました。神の民を愛される神様は、エルサレムが正しい信仰に立ち返るのを期待しておられるからです。神様は、問題や人ばかり見ている私たちに対して、どうすることを望まれているのでしょうか。
・ローマ12:19/
・ローマ8:31~32/

6 エルサレムがこのようになったのは、神の民自身の選択でした。彼ら自身の頑なな心のために、自分たちに問題があるということに気付くことができないことが、問題でした。それは、どのように表現されていますか。
・9~10節/


7 彼ら自身の頑なな心のために、霊のまなこが閉じられていたのです。神様が、彼らを眠りに着かせられたのです。「あなたがたの目は先見者を閉じ、頭は預言者たちをおおう」というのは、彼らが伝える御言葉を理解することも、その御業を見ることもできないということです。なぜ、神様がそのようにされるのでしょう。あなたの体験はどうですか。



8 御言葉を悟ろうとし、御言葉に従おうとする者には、御言葉が開かれて、神様がもっと深い理解を与えてくださいます。しかし、はじめから御言葉に聞き従いたくないなら、罪で覆われていたなら、どうなると言われていますか。
・11-12節/


9 御言葉に聞き従うことを好まない者には、神様の御心が分らないし、御言葉を読むこともしないと言っています。御言葉は、誰にでも開かれているわけではありません。謙遜に御言葉を慕い求め、御言葉に聞き従おうとする者に御心が知らされるのです。御言葉よりももっと優先するものがあるなら、その人の心はどうなります。どうしたら、その状態から解放されると教えていますか。
・Uコリント3:15-18/

「命の実を刈り取ろう」

 「ああ、エルサレム、エルサレム」と頑なな民を嘆かれたイエス様は、頑なな私たちの救いのためにご自身を十字架に渡されました。マタイ23:37。心に覆いがかかってる私たちのために、「彼らは何をしているか分らないのです。」と言いながら、イエス様は十字架にかかってくださいました。ルカ23:34。私たちは、この救い主のもとに立ち返りましょう。
 今朝の箇所は、私たちに重要な問いかけをしています。今どんな信仰の姿勢でいますか。御言葉に対してどんな思いでいますか。あなたの礼拝は、祭壇の機能が正しく働いていますか。

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