小グループで聖書を学ぶ

54.恵みと癒やしの回復(イザヤ30:18〜26)

「心の門を開いて」
 
 預言者を通して語られる神様のメッセージには、戒めや叱責の中にも、悔い改めへの招きがあります。ところが、頑なな神の民は、素直に聞かず、立ち返りませんでした。叱責と悔い改めをしっかり聞かない者はどうなるのでしょう。そのような者に、どんなメッセージが聞かされるのでしょうか。私たちにも語りかけています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ユダの民を叱責され、悔い改めを求めておられた神様は、素直に立ち返ってこないユダの民に対して、どのようにされると言われましたか。
・18節/


2 ユダの民を恵もうとしておられるというのです。戒めを受けている民に、しっかり悔い改めたわけではないのに、恵みのメッセージを与えています。どうしてでしょう。自分の罪や勝手な歩みのために患難や困難に陥り、不安や苦しみの中にいる民なのに、なぜ神様は哀れもうと立っておられ、恵もうと待っておられるのでしょうか。神様は、どのようなお方なのですか。(参考/出エジプト3:7)



3 患難や困難の中で悩み苦しんでいる私たちを恵もうとして待っておられる神様は、神様を待ち望み、神様に拠り頼んで来る者をどうしてくださると約束しておられますか。
・19節/


4 何と言う慰め、励ましでしょううか。自分勝手と欲心のために悩み苦しみに陥っても、哀れみ深い主に立ち返るなら、私たちも、恵みと祝福を味わうようになります。悔い改めて、立ち返って来ることを今か今かと待っておられる姿です。引用個所の例え話を参照して、思ったことを分かち合いましょう。
・ルカ15:18-24/


5 ユダの民は、神様から離れ、勝手に歩んで、苦しみ悩んでいます。人生は旅路、私たちは旅人と言われます。それは、大海原を行く小船のようです。一人で勝手に行くなら、人生の嵐の中を翻弄されるようになります。自分勝手に歩んだ道を正しい道に導いてくれるのは誰ですか。何によって導いてくれるのですか。(参考/詩篇119::18-19, 使徒8:28)
・20-21節/


6 イエス様を信じた私たちには、御霊なる神様が内住され、御言葉を通して私たちを導いてくださいます。御霊に揺り動かされて悔い改めた民がしたことは何ですか。私たちが、自分から「出て行け」と言うべきことは何ですか。
・22節/


7 神様が、ユダの民を罪から救い出される時には、御言葉の励ましだけでなく、他にも恵みをくださる約束をしてくだっています。それは、何ですか。
・23-24節。


8 神様の恵みと祝福の特徴は、どうですか。
・25-26節/


9 高い丘に運河ができるということは、水が流れない高い所にも水が流れるように、恵みが来ないような所にも、神様の恵みと救いが及んで来るということです。渇いた心に命の泉が流れ、たましいが潤されます。患難や困難の中で悩み苦しんでいた私たちの心を癒してくださいます。望みを失い、傷ついた彼らの心に、喜びを与え、慰めをくださいます。それは、何ゆえに癒やされるのです。
・Tペテロ2:24/


「命の実を刈り取ろう」

 自分勝手な肉の歩みのために患難や困難、不安や苦しみを受けている民を、「恵もうと待っておられ、哀れもうとたちあがられる」神様について学びました。自分勝手な思いで神様に求めるばかりで、神様の叱責や悔い改めの求めなど聞こうとしない人々にも、イエス様は十字架にかかってくださいました。Tペテロ2:24。イエス様は、自分が何をしているか分らない者の赦しのために、十字架上で祈られました。ルカ23:34。この主の哀れみと恵みにどう応答しますか。分かち合いましょう。

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