小グループで聖書を学ぶ

53.落ち着いて、信頼すれば(イザヤ30:8〜17)

「心の門を開いて」
 
 ユダの民が、まるで思いのまま動き回る子どもに譬えられています。子どもが正しい道に行くことができるのは、自分をつかまえて、小言を言ってくれる親がいるためです。私たちも、素直な神様の子どもとなって、御言葉に聞きたいと思います。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ユダが、神の民として残ることができたのは、預言者たちが、民に御言葉を伝え、間違いを悔い改めるようにさせていたためです。そのために、神様はイザヤに一つのことを命令しました。ユダの民はどんな状態なのですか。
・8-9節/


2 彼らは、哀れみの伴った戒めを聞いても、悔い改めず、神様に逆らい続ける者でした。神様を信じてはいても、肉の原理で生きて、御言葉に聞き従わない者でした。クリスチャンではあっても、どのように生きてしまうのでしょう。イエス様に救われた者は、どのように生きることができますか。引用箇所を見て、確認しましょう。
・ローマ8:5~9/


3 私たちも、肉の原理と御霊の原理を行き来しているでしょう。イエス様の十字架を信じて救われ、罪赦されます。新しい人に造り変えられて行きます。御霊の原理で歩むならば、事あるごとに悔い改めます。肉に属する人であったことを悟り、繰り返し主の御前に立ち返ります。そのような体験があれば、分かち合ってください。



4 神の民が、滅びることなく歩めたのは、預言者たちが絶え間なく御言葉を伝えて、神様に立ち返るようにに導いてくれたからです。神様に反抗し、御言葉を聞こうとしない肉の姿は、御言葉を伝える者に対してあらわれると教えています。どのようなことを言って来たのですか。
・10~11節/


5 私たちの教会では、御言葉の恵みをセルや礼拝後、奉仕をしながら、分かち合います。しかし、他所では、気に入らない事を聞くと、御言葉を伝える者に文句を言い、反発する人々もいるようです。御言葉を伝える者は、どのような攻撃にさらされると思いますか。御言葉を伝える者が、そのような人を恐れ、気に入られようとした場合、どのような過ちに陥り易いですか。
・Uテモテ4:3-4/
・ローマ16:18/

6 私たちが心に覚えるべきことは、すべての人が、肉の心では、祝福のことばは聞きたいけれども、忠告や戒めのことばは聞きたくないということです。肉の心は、肉の思いを満足させる言葉だけに耳を傾けます。しかし、本当の祝福の言葉は、罪を指摘して悔い改めに導き、神様との関係を回復させるものです。真実な御言葉が私たちを捕らえ、主の御前に立ち返らせます。罪を告白して癒やされ、霊的変革が起きます。これを読んで、思うところを分かち合いましょう。(参考/使徒2:37)


7 ユダの民が神様の御前で正しく生きようとすれば、神様が守ってくださるという約束があります。ユダの民はどうしたのですか。その結果どうなると警告していますか。
・12~14節(1~3節)/


8 ユダの民は、患難に出会った時、エジプトとの同盟に走り、「御言葉をないがしろ」にしてしましました。しかし、そんな民に神様が願われたことに注目しましょう。あなたは、患難に出会った時、どのようになりますか。(参考/詩篇73:21-22)
・15節/
・16~17節/

9 自分の頭や力で患難から逃げようとしても、患難はさらに大きくなり、力はますます弱くなります。困難に会う時、神様が一緒なら、信仰を持って耐えることができます。神様が患難をくださるのには、必ず理由があるし、益があります。患難が押し寄せて来るなら、その度に神様の御前に立ち返り、静かに祈りながら、助けと解放を待ち望みます。神様の御前に立ち返り、恵みの回復を経験したことがあれば、分かち合ってください。


「命の実を刈り取ろう」

 現代のクリスチャンに問題となっているのは、御言葉によって罪を指摘されたり、信仰を修正されたりすることを好まないということです。ただ恵みだけ、祝福だけを求め、称賛されることを好みます。主の臨在のもとで、絶望の淵から救われた経験があると、御言葉を聞く民となり、御霊の原理で生きていけます。私たちは、「立ち返って静かにし、落ち着いて信頼して」栄光の神の御前で生きたいのです。共に15節を読んで祈りましょう。

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