小グループで聖書を学ぶ

1 何に頼るのですか (イザヤ31:1〜9)

「心の門を開いて」

 人生は多事多難、人は、それらをどのように受け止めて、どう乗り越えて、解決して行くのでしょうか。様々考え、悩み、決めます。そして、行動するのですが、失敗したり、痛い目に会ったりします。どうしてでしょう。何が障害なのでしょう。何が足りないのでしょう。神の民の失敗から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 預言者イザヤの時代、神の民であった南ユダ王国は、北の強大なアッシリア帝国の侵略を受けて、国家の危急存亡の危機に直面していました。一般に弱小国が取る方法は、他の国と同盟を結び、対抗することです。あるいは他の大きな国の属国にしてもらうことです。ユダ王国は、どのようにしたのでしょうか。そして、何をしなかったのでしょうか。
・1節/


2 ユダ王国は、南の大国エジプトに助けを求めました。それは、どこの国でもする普通のことです。単なる軍事力の問題として捉え、お金を出して、エジプトの軍隊を出してもらおうとしたのです。ユダがこのような危機に会うのは、単なる軍事力の問題ではなく、神様に背を向けて、世に従っていたからでした。その根本問題をそのままにしておいて、エジプトに頼る者は、結局どうなると警告されていますか。
・2節/


3 困難が生じた時、悩みながら神様の御前に祈らなければならないのに、不信仰になって、神様から離れて歩めば、さらに災いに会うようになるというのです。神様を信じる者なのに、なぜ主に拠り頼むことをしないのでしょうか。目に見える馬、戦車、騎兵が頼りになると考えたからです。馬、戦車、騎兵とは、現代の人にとって何でしょう。では、ユダの民が拠り頼んでいたものは、頼りになったのでしょうか。
・3節/


4 現代の神の民クリスチャンも、危機に際して、なぜ神様に拠り頼まないのでしょうか。私たちは、自分がイエス様に救われ、神様に愛された民という特別な存在であることを忘れてはいけません。困難に際する時、私はイエス様の十字架によって救われた者だ、神のこどもとされた者だ、と御前に主張しなければなりません。ユダの問題は、単純な軍事問題ではなく、霊的な問題がありました。私たちに起こって来る問題はどうでしょう。引用聖句のような信仰の取り組みが私たちにあるでしょうか。
・箴言3:5〜6/


5 神様がエジプトの軍隊を引いて来て、助けることもできます。しかし、神様がエジプトを引いて来るのとユダの民がエジプトを頼りにするのとでは、根本的な違いがあります。私たちが困難に出会う時、あれこれ世の方策を探し求める前に、まず神様を探し求めなければなりません。その後で、神様の導きに従って、動くならばいいのです。神様により頼んで行くならどうなりますか。比喩をもって生き生きと描いて見せておられます。
・4〜5節/


6 人の声に動じないために、神様を獲物を捕らえる獅子になぞらえています。神様は、人が何をしようとも、ご自分の民であるユダを守ってくださるという意味です。同じように神様があなたにしてくださるなら、どうですか。巣にいるヒナを蛇や獣が捕らえようとする時、親鳥は必死に翼をばたつかせ、声を出して、体をはって追払おうとします。神様は、あなたのためにどのような愛を見せておられますか。
・詩篇118:6/
・ローマ8:32/

7 愛なる神様は、人の方法に期待する指導者たちに向けて、どうするように呼びかけておられますか。その結果、神の民はどうなりますか。
・6〜7節/


8 神の民は、悔い改めて、神様のみもとに立ち返って来るならば、偶像を退けるようになると言われています。私たちが気をつけなければならないのは、木や石で作った偶像だけが偶像ではないということです。「神様に目を向けず、主を求めない」で、エジプトに頼り、馬や戦車や騎兵により頼んだこと、それがユダの民にとっての偶像でした。私たちにも神様より頼りにしているものがあるかもしれません。あなたは何を頼りにしていますか。あなたの偶像は、何ですか。


9 ユダの民が、心から神様に立ち返って来る時、驚くようなことが起こると言われています。どんなことですか。そこから、どういうことが分かりますか。
・8〜9節/

「命の実を刈り取ろう」

 あなたを救われた神様は、創造の神です。あなたを恐れさせるものよりも遥かに偉大なお方です。すべての問題の解決は、神様にあります。あなたのために御子イエス様を十字架に渡された神が、あなたの神です。あなたの問題は、まず神様に取り扱わなければなりません。きょうの学びで気付かされたこと、悔い改めたこと、導きを与えられたことは何ですか。詩篇121。

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