小グループで聖書を学ぶ

2 わが避け所主イエス(イザヤ32:1〜8)

「心の門を開いて」

 世の中は混乱し、人生は嵐のように揺れ動いています。私たちは、様々な問題や出来事に、恐れや不安を感じます。私たちが嵐から避ける所はどこでしょう。嵐のような世に何を知らせることができるでしょうか。イエス・キリストの預言から学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 アッシリアの大軍がユダ王国を滅亡させようとしている今、南ユダ王国は、危機に瀕しています。神の民は、神様から離れ、エジプトを頼りとしていました。民の指導者は民を正しく導けませんでした。神様が教えてくださった救いの道は、どんなものですか。
・1節/


2 神の民が危機の時、正義を行う王が登場して、ユダの民を御言葉によって治め、平安が訪れるというのです。正義によって神の民を治める「ひとりの王」とは、誰でしょう。引用箇所を参照しましょう。
・イザヤ9:6〜7/
・イザヤ11:4〜5/

3 正義によって神の民を治める「ひとりの王」とは、メシア、すなわちイエス・キリストです。この箇所は、イエス様の預言にほかなりません。そのような救い主が来られたなら、神の民はどのようになると言われていますか。
・2節/


4 かわいた地を旅して、暑さに苦しんでいる旅人にとって、涼しい小川、暑さを避ける日陰、嵐を避ける隠れ家、避け所が必要です。ちょうど神の民が人生の荒野を行く時に、救い主イエス様が避け所となるということです。なぜ人は、人生の嵐に会いながら、たましいのシェルターに逃げ込まないのでしょうか。あなたの場合、どうして、イエス様を避け所としましたか。
・マタイ11:28/


5 こうして、ひとりの王、すなわち救い主イエス様をわが避け所とし、たましいの平安が与えられ、主の治める人生となるならば、その人が変化して来ます。どんな変化ですか。四つの変化があります。その意味するところは、それぞれどうですか。(参考/エペソ1:18〜19, マルコ5:19)
・3〜4節/


6 イエス様のところに来るなら、心の目が開かれて、主のみわざを見るようになり、心の耳にメッセージが聞こえるようになります。性急に物事を判断していた人が、物事や状況の意味、背景がよく理解できるようになり、御言葉を聞いて理解するなら、証しするようになります。イエス様に救われた後、あなたには、そのような変化がありましたか。



7 霊的分別力がなかったため、神の民は、危機の時確かな理解と対応ができませんでした。神の民から霊的分別力を失わせていた人々がいたのです。どんな人たちですか。その人たちの特徴は、何ですか。
・5〜7節


8 地位が高く、知識があっても、肉の思いで国を滅亡に導き、人のたましいを滅びに行かせるなら、しれ者であり、ならず者だというのです。私たちも、危機の中で人々の愚かな言動に振り回されることがしばしばあります。上司や目上の人の言動に反応することもあります。それに対して憤慨したり、がっかりしたり、恐れたりしたことはありませんでしたか。そのように自分が反応するなら、その人に自分のたましいを委ねたことになりませんか。



9 私たちにとって最も大切なものは、人のたましいです。たましいを誰に委ねるかによって永遠まで決定します。人の価値はたましいの状態にかかっています。ですから、重要なことは、私たちのたましいが治療され、健康にされることです。イエス様をわが避け所とした人の特徴は、どんな人に変えられるのでしょう。その特徴は何と教えていますか。
・8節/


「命の実を刈り取ろう」

 「高貴」ナデーブとは、「高尚な、高潔な」という意味です。イエス様を避け所とする人は御言葉によって生きて、イエス様とともに歩み、高尚な生涯を送るようになります。イエス様を避け所とし、イエス様に自分を委ね、従う人は、高潔な人に変えられ、人生において高尚なことを計画し、信仰的に高尚なことをするようになります。今日の学びを通して、気付かされたこと、悔い改めに導かれたこと、心に示されたことを分かち合いましょう。箴言17:7。

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