小グループで聖書を学ぶ

4 主を待ち望む (イザヤ33:1〜12)

「心の門を開いて」

 神の民の特性として、困難や人が与える痛みを通して、悔い改めと信仰の恵みに導かれることがあります。何もない時よりも、困難に出会い人から痛みを受けた時、神様の民の信仰は、もっと良くなり、祝福も大きくなるのです。困難や肉の人の言動に悩まされる私たちも、イザヤ書からそのことについて学びます。


「御言葉の種を蒔きながら」

1 エルサレムを攻めている残忍なアッシリアは、周りの国々をどのようにしていた国ですか。それで、アッシリアとは、どんな国だと言われていますか。アッシリア的な人の特徴は何だと言えますか。
・8〜9節/
・1節/

2 戦う国々は、踏みにじられたから踏みにじり、裏切られたから裏切るというように、互いに仕返しをエスカレートして戦いになります。しかし、アッシリアという国は、踏みにじったり、裏切ったりしていない国々まで、攻撃して蹂躙していました。ユダ王国に対しては、妬みもあったようです。肉の価値観に生きる者からすると、自分たちと同じように悪を返すことをせず、同じように欲を見せることなく、懸命に信仰に生きる姿が妬ましく、うとましくすら感じられるのです。信仰の人は、アッシリア的な人々に対して、どのような対処をするように教えられていますか。
・ローマ12:17/
・Tペテロ3:9/

3 悪い者の攻撃に対して「悪に悪を報いることをせず」ならば、信仰の人はどのようにしなければなりませんか。神の民は何をしているか、注目しましょう。
・2節/


4 悪者に踏みにじられ、裏切られるなら、恨みつらみで心がいっぱいになるかもしれません。しかし、主を待ち望んで、主に熱心に切実に祈っています。「朝ごとに」とは、祈りの生活を象徴しています。その祈りは、確信をもって神様に拠り頼む祈りです。イエス様の十字架によって救われた私たちですが、そのような祈りをしていますか。切実な懸命の祈りをささげたのは、どんな時でしたか。


5 仕返しをしなければ、肉の者が栄えるだけだと思うかもしれませんが、神様はどのようなことをされますか。
・3〜4節
・ローマ12:19/


6 悪い者がどんなに強くても、一瞬に倒されます。悪辣で強大なアッシリアも、あっという間に滅んでしまうのです。そして、苦難は私たちに有益を与えます。なぜなら、苦難は、あまり祈らない者に、多くの祈りをさせるようにするからです。そして、涙の祈りの中で、神様の真実さと信仰の素晴らしさを味わうようになります。神様がどういう方であると分かって来ますか。
・5節/


7 患難の中で確信をもって祈り、大きな祝福を体験すれば、神様は生きておられる方、力ある偉大なお方であることが分かって来ます。教会の中にあって、兄弟姉妹が大きな困難に出会いながらも、必死に信仰をもって真実に祈り、執り成し祈って行く時、神様の大きな守りと導きをみな体験して来ました。困難を通して、神様の御力はもっと現れるようになります。その結果、神の民は、どのように生きようとなりますか。あなたは、どうですか。


8 信仰で生きてみた結果、神様の祝福と守りの応答を経験した聖徒は、信仰の素晴らしさを確信するようなり、もっと信仰によって生きようとなります。御言葉どおり生きようというようになります。2節で主を待ち望み、祈っていた者に対して、主はどのように応えてくださいますか。
・10節/
・イザヤ30:18/

9 私たちが主を待ち望む前から、主が私たちを助けようと待っておられます。そして、私たちのために主が立ち上がってくださいます。私たちを取り巻く状況が厳しく、肉の人の横暴が取り巻いても、この時という時に、祈り待ち望む者のために、偉大な神様が立ち上がられるのです。神の民を攻撃する者はどうなりますか。それを知れば、神の民は、アッシリア的な人の策動をどのように見なければなりませんか。
・11〜12節/

「命の実を刈り取ろう」

 どんなに強い者で一時期には勢力を奮っていたとしても、悪者は、一瞬に瓦解してしまいます。ですから、私たちは、困難や肉の者たちの策動を絶対的だと見ないことです。神の民は、困難を通して信仰が成熟し、結局主の祝福を受けるようになります。主が私たちの力です。それならば、信仰の人生をどのように歩みますか。イザヤ40:31

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