小グループで聖書を学ぶ

5 救いの宣言 (イザヤ33:13〜24)

「心の門を開いて」

 聖徒たちでも、自分に関わることが中々うまく行かず、悪いニュースばかりが気になると、こんな世で生きるのは空しい、私の人生は苦しいという思いになります。どうして神様はこんなことを続けているのかと神様に不満を持ち、心が神様から離れるようになります。そのようになっていた神の民を神様はどうしてくださったのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ユダ王国の都エルサレムは、アッシリアの攻撃にさらされ、苦しい中にいます。そのために、神様に不満を持ち、心が神様から離れていた聖徒たちがいました。どうして神の民なのにアッシリアに攻められるのか、なぜ神様はアッシリアをそのままにしているのかと言っていたのです。神様は、彼らに対して、どんな呼びかけをされていますか。
・1節/


2 「遠くの者、近くの者」とは、距離だけでなくて、心情的に神様から離れて遠くにいる者、神様の近くにいる者という意味です。エルサレムで生きていたとしても、信仰が薄れて、神様から心が離れているならば、「遠くの者」になっています。それに比べて、遠い地で苦しんでいる者だとしても、神様の約束を信じて御言葉を握って生きている人は、「近くの者」です。どんな時、「遠くの者」になりやすいでしょうか。今はどうですか。




3 かつて、私たちは、罪のゆえに神様とどのような関係でいた者でしたか。しかし、イエス様が私の罪と滅びの身代わりとなってくださったことを信じたことで、神様に愛され、神様にどうすることができる者とされていますか。
・エペソ2:16〜18/
・ヘブル4:16/

4 神様に近づくことができないのは、どのような者ですか。では、神様に近づくことができるのは、どのような者だと言われていますか。
・14〜16節/
・詩篇24:3〜4/

5 たとえいくら世がどれほど横暴な者の天下であるように見えても、神様はその民が「正義を行う者、まっすぐに語る者」であることを願われました。アッシリア的な人々がのさばり、人の利得を奪おうとし、賄賂の多い世であっても、「強奪による利得を退ける者、手を振ってわいろを取らない者」であることを願われました。なぜ、神様は、神の民が正しく生きることを願われたと思いますか。(参考/詩篇11:7,ローマ3;26)



6 世がどんなに悪くても、アッシリア的な人々が我が物顔でのさばっていたとしても、神様は、ご自分の民が、神の民として生きることを通して、世を変えようと、世を救おうとされておられます。ですから、私たちは、どんなに問題が多くても、横暴な人々に翻弄されたとしても、神の民として、イエス様の弟子として、地の塩、世の光として世で懸命に生きるよう命じられたのです。この神様の御旨を知って、どう応えますか。



7 世がどのようであっても、悪い事件や問題が多いとしても、サタンに騙されないでください。「耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、目を閉じて悪いことを見ない者」となることを父なる神様は願っておられます。なぜ、このようなことを言われているのでしょうか。
・15節/


8 横暴なアッシリアが、世で悪い事件や問題を垂れ流しているのを、そのまま見聞きしていると、悪い影響を受け、罪を罪と思わなくなったり、あるいは、悲惨な現実に信仰の思いが萎えてしまうからです。あまりに暗く悪い世をうとみ、信仰に生きる意欲が失われたり、神様に文句を抱いたことはありませんか。



9 私たちは、世の情報を注意して摂取し、それ以上に御言葉を摂取しなければなりません。御言葉を守り努める者に、どんな約束がされています。
・19,20,22節/

「命の実を刈り取ろう」

 世には、アッシリア的な姿があります。人の横暴や悪い事件も多くあります。しかし、威厳のある主が私たちとともにおられ、主が私たちを治め、主が私たちの王となられ、この方が私たちを救われるのです。主に近くいる者となれば、その絶対的な主の支配の中で生き、悪い者から守られ、罪赦されて、生きることができます。どのように生きるのでしょう。ヘブル4:16,マタイ5:13〜14。

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