小グループで聖書を学ぶ

6 贖われた者(イザヤ34:1〜35:10)

「心の門を開いて」

 やっと一つの問題が済んだと思ったら、もっと大きな問題が起こって来たということがあります。どう受け止めればいいのでしょうか。アッシリアの滅亡が示されて、ユダの民は落ち着きますが、そこへバビロンが代わって登場して来ます。神様の御心を求める預言者が祈ると、神様が教えてくださったのは、やがて起こる全世界的な裁きでした。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 34章は、やがて全世界に裁きが臨むということを知らせています。大々的患難が、ユダの民だけでなく、諸国の人々にも及ぶという知らせです。誰に呼びかけていますか。
・1〜4節/


2 世には悪がはびこり、人々は相争い、国々は戦い、神に敵対し、自ら滅びに向かって行くような姿です。裁きは、罪に対する聖なる神様の怒りです。罪の結果が滅びだからです。裁きのメッセージを聞く時、人々は何をする必要があるのでしょうか。
・ローマ6:23
・ローマ3:25

3 まだ滅ぼされていないということは、罪の姿を神様が忍耐をもって見のがして来られたということです。人のすべきことは、神様の忍耐を軽んじるのをやめて、悔い改めて、立ち返ることです。患難が近づいても、神様を軽んじ、悔い改めなかった人々の代表としてどんな国、民が取り上げられていますか。なぜ、彼らが取り上げられたのでしょうか。
・5節/
・申命23:7,民数20:17〜18/

4 エドムとは、イスラエルの先祖ヤコブの兄エサウから出た民族でした。しかし、信仰の民から良い影響を一つも受けることができずに、憎しみと妬みをもって痛めつけていました。エドムは、農業牧畜が盛んで、交通の要衝にあって商業貿易も栄え、高慢でした。神様は、このような国や民であっても、神の民のそばに置き、信仰の影響を受けて、立ち返り、救いを求めて来ることを忍耐しておられました。福音の近くにいながら滅んでしまったエドムを新たに生み出さないために、私たちはどうすることが必要だと思いますか。(参考/マタイ5:13〜14,ローマ10:13〜14)


5 神様は、訳もなく私たちを患難にあわせることはなさいません。裁きの預言(34章)の後(35章)には、どんなことが続いていますか。
・1〜2節/


6 日照りで植物が枯れ果てた地に恵みの雨が降り注いだら、地は潤い、植物は一斉に芽を出し、花を咲かせるようになります。それまで、心が荒廃し、憂うつで苦しんでいた人も、この表現のように渇いた心が潤い、荒廃した人生に花を咲かせるようになるために、神様は何を与えてくださったのですか。
・3〜4節/
・ローマ3:23〜24/

7 「心騒ぐ者」とは、患難や問題の中で、希望を失い、心が渇き、生活が荒廃し、霊的に病んでいる状態です。イエス様の救いに与ることによって、心変えられ、思いが変えられ、生き方が変わると、どんな霊的変化が生じて来ると言っていますか。
・5〜6節/


8 自然の荒廃が回復され、心と体の癒しに加えて、霊的祝福が与えられます。荒野や砂漠に道がなくて迷うように、荒れた人生、渇いたたましいは、進むべき道を失っているから迷い、進むべき道が分からないので苦しいのです。しかし、イエス様を信じて、救われたに者は、どういう人生を歩めると約束されていますか。
・8節/
・ヨハネ14:6/

9 私たちは、思うようになることが大きな道を進んでいることではありません。御言葉に導かれて、御霊とともに人生を歩めることが、「大路」を歩むことです。私たちが生きている中で重要なことは、救われて神様の御前に出て行くことです。そのような道を行く資格を何と言っていますか。あなたは、それを得ていますか。
・9〜10節/

「命の実を刈り取ろう」

 「贖う」とは、代価を払って買い取ることです。私たちの命のために、その代価としてイエス様の血が十字架で流されました。人生を歩む時、私たちを驚かし、恐れさせることが多くあります。しかし、贖われた者のためには、困難の中でも、神様は「楽しみと喜び」をくださり、「悲しみと嘆き」を取り去ってくださいます。主の御霊が私たちに臨めば、渇いた心が潤い、傷ついたたたましいが癒され、荒廃した人生に喜びと感謝が回復します。今日の箇所のメッセージを学んで、どんな導きを受けましたか。分かち合いましょう。Uコリント6:2。

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