小グループで聖書を学ぶ

8 しかし黙って答えなかった(イザヤ36:11〜22)

「心の門を開いて」

 戦国時代、多くの戦いの勝敗は、実際の戦いの前にほとんど決していました。実際の戦いで決まったのではなく、その前に行われていた調略によって勝敗はほぼ決定していたのです。きょうの箇所は、アッシリヤによる調略が行われている場面です。霊的調略に会っている私たちは、ここからしっかり学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 大軍を率いていたアッシリア王は、早く戦いを切り上げて帰らなければならない事情をかかえていたようです。ですから、側近ラブシャケを遣わして、降伏交渉をさせることにしました。なぜ、その時代の外交語であるアラム語でなく、わざわざユダの言葉を使っていたのでしょう。ユダの高官たちは、どうして、「ユダのことばで話さないでください」と頼んだのでしょう。どんな理由が考えられますか。
・11〜12節/


2 籠城戦では、水も食料も尽きてしまえば、悲惨な最期となります。民がそれを聞けば、恐れ、落胆するでしょう。ユダの高官たちは、それを恐れたわけです。だからこそ、わざと民に聞かせるためにユダの言葉で話していたのです。人が、不安や恐れを抱き、失望落胆すれば、それは自分だけで止まるでしょうか。動揺した民が騒げば、どうなりますか。



3 恐れや落胆、絶望が民の間に広がれば、ユダは早く降伏するようになるでしょう。人が、不安や恐れを抱き、失望落胆するなら、何のせいだ、誰かのせいだと騒ぎ始めます。動揺は、他の人にも広がります。これが、背後で動いているサタンのねらいです。私たちもそうなる時があるでしょうか。そのような時、どうすればいいと思いますか。(参考/イザヤ30:15,ヨハネ14:1,27)



4 ヒゼキヤ王は、ダビデ王以降最も信仰的な王様でした。彼は、御言葉によってユダを治めて、ここまで持ちこたえて来ました。アッシリアからすれば、この信仰の王を倒すことができれば、簡単に降伏させることができると考えたのです。ヒゼキヤ王について、まず、何とあざけっていますか。
・13〜15節/

5 ヒゼキヤが神様に拠り頼めと言っているのを聞くな、と言っています。サタンが一番恐れるのは、聖徒たちが命をかけて主を信頼することです。そこで、サタンは聖徒たちにいろいろ吹き込み、御言葉に聞かないようにさせ、神様から引き離そうとします。そのようなサタンの調略に会ったことがありませんでしたか。



6 ヒゼキヤの言うことを聞かないで、アッシリアに拠り頼むならどうなると誘っていますか。ここに、サタンの魂胆があります。主への信仰を捨てろというのです。これが霊的戦いです。サタンは、イエス様に対して、自分を拝むなら、この世の栄華をすべてあげようと誘惑しました。イエス様は、どのように、サタンを退けましたか。
・16〜17節/
・マタイ4:8〜10/

7 「ヒゼキヤにごまかされるな、言うことを聞くな、そそのかされないようにせよ」と、繰り返し主張しています。ラブシャケの調略のねらいは、ヒゼキヤ王から民を離反させること、王と民を仲たがいさせることでした。私たちがサタンの調略に乗ってしまい、あの人がこう言った、あんなことをしたと騒ぎ、噂話をするなら、どうなりますか。
・14,16,18節/
・ルカ11:17。

8 あざけられたら、たいていは出て行って、立ち向かい、反論するのではないでしょうか。反発し、言い返すのではないでしょうか。このような巧妙な調略に対して、ユダの民はどう反応したのでしょうか。
・21〜22節/


9 サタンとの戦いは、血肉に対するものではありません。サタンとの戦いは、人の力では勝つことができません。霊的戦いは、神様が戦ってくださいます。家庭や職場の中で敵対させ、友人や聖徒たち同士を仲たがいさせようとするサタンの調略について、御言葉が私たちに勧めているのは、何ですか。
・Tコリント1:10/
・Uコリント2:10〜11/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちも霊的戦いの中にあります。家庭や職場での問題、人間関係にも、サタンが働いています。人があざけっていても、サタンがさせていると受け止め、その人を恨むことのないように。サタンの調略に乗らないようにしましょう。論争して勝とうとするのでなく、「しかし人々は黙っており、彼に一言も答えなかった」という神の民の姿を思い出しましょう。確かに、問題や人のあざけりに苦しめられれれば、受ける衝撃や痛みは大きいでしょう。しかし、この学びから励ましや導きを受けるなら幸いです。互いに分かち合いましょう。ローマ8:31〜32,Tペテロ2;23〜24。

戻る